高橋是清という偉人

 当ブログでも過去に紹介したNHK(Eテレ)のテレビ番組『先人たちの底力 知恵泉』。去年の10月にそこで紹介された人物で、感銘を受けるほどのすごい歴史上の人物が紹介されました。

 その人物は高橋是清。明治から昭和初期まで活躍した政治家の一人です。過去にお札の肖像にも選ばれたほどの偉人です。

 この人物の何がすごくて、感銘を受けるほどだったのか? それは人生七転び八起きで失敗や苦難にぶつかってもめげずに前向きに頑張って生きてきたこと

 少年時代に騙されて海外留学先のアメリカで奴隷のように働かされたり、うまい儲け話に乗って借金を残して大損したり…。普通の人ならめげてしまうところでも、何とか糸口を探すために足掻いてみたり、失敗を教訓に新しい物事を学んだりと、その実績や努力が評価され、最終的に官僚や総理大臣の地位まで出世いします。彼は出世しても、国民の生活のことをしっかりと考え、いかにどうするべきかを考えて、物事に取り組んできました。

 私も高橋是清という人物については知ってはいましたが、これほどのすごい人物だとは知りませんでした。あらためて知恵泉で知って、その偉大さに脱帽。それだけに二・二六事件で暗殺されてしまったのが、非常に悔やまれます。

 こういう人の精神や人生観は、私を含め、現代人は学ぶべきだと思います。現代の日本に必要だと思いくらい。彼のような偉大な人物の想いや歴史の軌跡というのは、微力でもいいから紡いでいきたいものです。

 皆さんも興味があったら、高橋是清という人物のことを調べて、その偉大さ・すごさに触れてみてください。


スポンサーサイト

中毒に対する新しい見解の動画

 以前とある方のFacebookの投稿で知った「中毒(Addiction)」に関するYoutubeの動画。非常に興味深い内容なので、まずはぜひ動画を見てもらいたい。



 この動画では、「中毒の反対は正常ではなく、(人との)繋がりである」と述べている。それを考えると、仕事でもプライベートでも「誰かとの繋がりが人々の生活や活動をポジティブなものにする」ということなのだろう。人との繋がりは今後も大切にしていきたい。あらためてそう思った。


前衛的言動にはお金の搾取という危険性がある

 最近hin-bpさんのブログで知ったのだが、「レールに沿ったつまらない生き方は嫌だ」として、ある大学生が大学を中退して起業すると述べたブログの記事が現在話題になっているという。それが↓の記事。



 一応読んでみたのだが、この記事に対してさまざまな意見がネットで飛び交っているという。いくつか読んでみたのだが、私が一番しっくりしたのは、ブロガーである付利意雷布亜(ふりいらいふぁあ)がお書きになった↓の記事。



 こうした「新しい生き方」だとか「雇われない働き方」だとか、既存の社会概念や常識から逸脱した言動について、私は前衛的言動と呼んでいる。上述の学生もこうした前衛的言動に乗り出した人物の一人だ。

 だが、前衛的言動というのはとかくお金が絡むことが多い。その悪い例が今回、付利意雷布亜さんも述べられていること。すなわち、前衛的言動に逃げた人々をカモにして、何らかの形でお金を搾取するシステムである。

 付利意雷布亜さんの記事で詳しく述べられているのだが、こうした前衛的言動をやたら強調する人物というのは、精神的負荷がない甘美な言葉で人々を惑わす。そしてそれに感化された人々を自分のセミナーなりサロンなりに引き込んで、お金を巻き上げる。

 こうなると、もはや単なるテーマパークである。一歩立ち止まって考えてみれば分かるが、そんなテーマパークにいたところでお金が稼げるわけでもなければ、何か得られるわけでもない。結局、量産される甘美な言葉ばかりに埋もれていくだけのカモとなるわけだ。

 三枝さんが運営されているNPO共育学舎のようにお金を一銭もとらず、純粋な善意で運営されているのなら、こうしたことは起きない。しかし、中途半端に金が絡むと、甘美な言葉を発してでも金を得ようとする活動に成り下がってしまうのだ。これは行政からの補助金目当てで運営されている、一部の悪質な障碍者就労支援などの福祉事業についても同じことが言える。


 上述のような活動について少し考えたのだが、金のためのカモ探しにならない純粋な活動というのは、お金を取らない活動にしてみることだと思う。三枝さんのNPO共育学舎やかさこさんの無料セミナーのような感じに。

 もしお金を取るとしたら、やる側・受ける側が双方納得してウィンウィンの対等な関係になるような活動じゃないと難しいだろう。

 最も理想的なのは、やる側・受ける側双方がお金(もしくは職能など別のこと)を得られることだろう。「本当にお金が稼げるのか?」という胡散臭さは出てしまうが、それを払しょくできるほどの活動であれば、参加のモチベーションが一番上がりやすくなる。いなかでのコネを通じた仕事紹介は、まさにこれにあたる。信頼関係など他に必要な条件などハードルも高いが、実現できれば一番のウィンウィンの対等な関係になるだろう。

 前衛的言動は掘り出してみるとネガティブな要素がいろいろと多いが、その反面ポジティブな解決策も上げていかないと、前には進めない。そのことを深く考えて、どうやればもっと良い案が出るか、考える良い機会となるはず。そうなればいちいち前衛的言動を気にする必要などなくなるであろう。


「18歳成人」で自己責任の認識が強くなる

 9月2日、今朝の読売新聞で「18歳成人 21年にも」という記事を見つけ、非常に興味がわいた。下記はその一文。

 法務省は1日、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げる民法改正案を来年の通常国会に提出する方針を固めた。18、19歳の約200万人が一斉に成人になることによる支障の有無や周知期間などについて、30日まで郵送や電子メールで国民の意見を募り、改正案に反映させたい考えだ。



 18歳成人になった際の影響として、ローンやクレジットカードの契約、民事訴訟ができるようになるという。また要検討ではあるが、飲酒・喫煙、競馬などのギャンブル、少年法の適応年齢などもあるという。

 個人的に気になったのは、飲酒・喫煙・ギャンブルのことだ。18歳成人が認められたら、これらに飛びつく若者はすぐに現れるだろう。だが、飛びついたら飛びついたで何かしら問題は起こるだろう。飲酒・喫煙では若くして癌などの疾患になるかもしれないし、ギャンブルでは依存症になって借金まみれになる可能性もある。

 それが良いか悪いかは別にしても、一つだけ言えるとしたら、それらの問題は自己責任に完結させれるだろうということ。いずれの要素も18歳成人となって、一人の責任ある大人の行為として認められるのだから、その延長で起きた問題は自己責任として問題解決を余儀なくされるだろう。

 18歳成人についてどうなるのか賛否両論ではあると思うが、実現されるとしたら「自己責任で問われることはあり得る!」ということだけでも認識しておいた方がいい。特に飲酒・喫煙・ギャンブルに飛びつく若者は、それを認識しているだけでも、将来起こるかもしれない病気発症や借金まみれになる人生のリスクを回避できるかもしれないのだから。


前衛的言動に逃げたところで何も解決しない

 数ヵ月前から、気になっている記事がある。それは女性ブロガー・作家のはあちゅうさんが旅をしている人に対する批判記事について書かれた記事だ。該当の記事は↓。



 このはあちゅうさんの記事はけっこう炎上しているようで、軽くネットサーフィンしていると批判意見がけっこう多い気がする。

 それはさておき、私も記事を読んでみたのだが、それほどひどいと感じる内容ではなかった。確かに「旅で人生が変わったとか言う人は中身がゼロ」というのは、少々言い過ぎだと思う。

 だが、それ以外の文章に目を通してみると、かなり筋の通ったことをはあちゅうさんは仰っている。それを最もよく表しているのが下記の文章。

世界の宝物である美しい風景を
実際に自分の目で確かめて
しみじみと感動を噛みしめることはあっても
それは、
何かを変えてくれるようなものではなく

あるとしたら
それをきっかけに自分を変えようと
自分が決断するかどうかなだけ。

旅ばかりしている人を見るとなんだか、
常に逃げているように見える
今日この頃で

しかもそれを過剰に飾り立てて
ビジネスにしている人を見ると
「んー?(*´ω`)」って思う。

なんかね…みんなどうか、騙されないでほしいよ…。
変なスパムとか、よくわからない教祖面の人にさ。



 私も旅とか旅行は好きだが、はあちゅうさんの仰る「常に逃げているように見える」という文章は同感だ。ここで言う「逃げている」とは「目の前のこと(現実)から逃げている」という意味であろう。無論、旅している人が皆現実から逃げているというわけではない。

 ただ、はあちゅうさんの仰る通り、旅を言い訳に現実から逃げているだけの人間は少なからずいるように思える。

 これは旅に限った話ではない。「新しい生き方」だとか、「雇われない働き方」だとか、世間一般の概念や価値観などにとらわれない言動(ここではそうした言動を「前衛的言動」と呼ぶことにする)に逃げている人も同じだ。

 そうした人達に共通するのは、単に目の前の現実から逃げているだけということ。目の前の現実が嫌なために前衛的言動に逃げているのだ。

 以前Twitterで仕事を辞めて旅をしたいという人がいたが、その人の文言を見ていると「この人は旅をしたいんじゃなくて、本当は目の前の仕事から逃げたいだけなんだな」と思った。文言には、就いている仕事に対する愚痴しかなく、旅に対する具体的なアクション(計画立てや資金稼ぎなど)は何一つ書いていなかった。

 こうした目の前の現実から逃げたい人というのは、とかく前衛的言動に逃げようとする。「そこに行けば、何もかも安泰!」と言わんばかりに。ただ、実際にそうした人の文言を見ていると、個人的に不快に思えてならない。己のやっている所業を過剰に盛りたて、不平不満があればギャーギャー騒ぎ立てる。単に不平不満を垂れ流して駄々をこねるだけのガキと同じだ。

 そうした前衛的言動に逃げている人というのは、現実的な側面の事柄を棚上げしているように思える。やたらと綺麗事や絵空事ばかり述べて、目の前の現実をより遠ざけている。そうした人が逃げたい人達同士の間で、もてはやされる。はあちゅうさんの仰る、それをビジネスにしている人や教祖面している人というのは、そういった類の人達であろう。

 あらためて書くが、前衛的言動に逃げたところで、問題は何一つ解決しない。逃げたところで生活に十分なお金が稼げるわけでもないし、社会的な生活が満足に送れるわけでもない。そんなことは、一歩立ち止まって冷静に考えてみれば、誰にでも分かることだ。

 では、どうするのか? 当たり前のことではあるが、前衛的言動なんかに逃げず、目の前の現実にしっかりと向き合うことだ。

 目の前のことに取り組むだけで、普段の生活も本当に充実してくる。前衛的言動なんかにすがるよりも、ずっと良い結果が出る。これは私が広島県大崎上島での生活で取り組んで、実感したことだ。目の前のことを黙々とやる。ただそれだけである。かつての私も現実から目を背けたり、逃げたりすることがあったが、現在ではしっかり向き合うことができるようになった。


 旅すること自体は悪いことではない。ただ、目の前のこと(現実)から逃げて、旅などの前衛的言動に逃げるのはいかがなものかと思える。そうした人に限って、不平不満でギャーギャー騒ぎ立てるだけで、チャンスすらもらえないのだ。

 チャンスを掴みたければ、まずは目の前のことをしっかりこなすことから始めればいいのである。それで結果が出るのであれば、現実と向き合う労力なんて安いものだ。