他人を動かすことに執着する人=嫌われる人

 数日前にジョブクラブのメンバーの1人であるIさん(仮名)が、自身のSNSで↓の画像をアップした。その画像がとても興味深かったので、今回はそれに関する話題を取り上げていく。

嫌われる人

 この画像は「嫌われる人」について書かれたもので、その特徴が文章として書かれている。で、今回私がこの画像に興味を持ったのは、この特徴がある特定の輩の特徴と合致していると気づいたからだ。

 それは他人を動かすことに執着する輩である。

 当ブログでも何度も取り上げてきた、他人を動かすことに執着して、自分自身を動かそうとしない愚か者のことである。まさにその愚か者と↑の画像に書かれている内容が、驚くほどに合致している。

 嫌われる人の特徴というのはいろいろあるのだが、下記のリンクのサイトの記事ではより詳しい特徴が書かれている。



 このサイト記事を文章を読んで、より強く確信した。

 「他人を動かすことに執着する人は、嫌われる人なんだ」

 と。ほとんどの特徴については上述の画像やリンクの記事で書かれているのだが、こうした輩の特徴で一つだけ私の方から追記したい特徴を述べる。

 それは自己開示しないこと

 自己開示しないというのは、自分自身のことについて一切語らないということ。自分の概略(プロフィール)や経歴、仕事、生活、趣味、目標などなど。自分のことは何一つ語らない。

 なぜ語らないのか? それは自分に自信がないからである。自信が持てるようなことを何一つやってこなかったからであろう。仕事でも、プライベートでも、自信になるようなことをやってきたのであれば、それを自ら発信し、他者との交流に役立てることができるはずである。それをしないということは、普段から自信になるようなことをしなかったからであろう。

 自分に自信がないのであれば、自信がつくように自ら考えて行動すればいいのである。それをせずに他人を動かすことばかりに執着するのは、自らリスクを背負うことから逃げている臆病者であり、他人を動かすことで己の浅はかな自尊心や正義感、承認欲求を満たそうとする卑怯者なのである。

 こうした輩は言うだけ言っておいて、責任を背負うつもりはまったくない無責任な輩なのである。責任もろくに背負えない者が他人を動かそうとするなど、愚劣極まりない。こうした輩は排除すべきである。

 大体少し考えてみれば、他人を動かすことなんて、無謀かつ無粋なことぐらい分かるだろう。そんな簡単に他人を動かせるのであれば、世の中戦争も経済不況もない。総理大臣になって国政を動かすことだってできる。

 そうした力もなく、嫌われる特徴を持った輩の言うことなんて、誰も聴きたくない。そんなのが周りにいるだけでも気持ち悪い。22世紀のロボットであるドラえもんだって呆れてしまう。



 何度も言っているが、動かすべきは他人ではなく、自分自身なのである。自分をまともに動かせない輩が他人を動かすなど、言語道断である。どうしても他人を動かしたいのであれば、他人を動かすだけのリスクや責任を背負うべきである(会社の経営者や組織のリーダーのように)。

 それができないのであれば、さっさとやめて、自分で自分を動かせばいいのである。ただそれだけのこと。


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他人に悪口しか言えない輩は結局何もないただの人

 最近ネット上で私に対して悪口ばかり言う輩が出てきた。いろいろ思うことはあるが、ひとつ思うことがある。

 他人に悪口しか言えない輩は結局何もないただの人であるということ。

 何もないとは文字通り何もない。その人に面白味も無ければ、仲間もいない。つまり、誰からも相手にされないひとりぼっちだということ。

 こういう輩は物事を前向きに取り組んでいないのであろう。仕事をただ何となくやっている。人間関係をただ何となく続けている。そこに面白さとか感謝の念といったポジティブな要素が何もない。惰性で何もかも続けている人。惰性でやっているから、成長の喜びとか新しい物事に取り組む新鮮さや面白さといったものも何もない。それだけでなく、趣味などのプライベートも充実していない。

 本当に何もないのだ。仕事でも、勉学でも、趣味でも、何でも前向きに取り組んでいたり、熱中していたりすれば、悪口なんて言う暇なんてまったくない。仲間と一緒に何か物事に取り組んだり、趣味に没頭していたりと、やりたいこと・やることはいくらでも見つけられるはずである。

 当たり前だが、そんな人間を相手にしてもらえるほど、周りの人々は決してバカではない。悪口しか言わない人間には、誰も寄ってこない。そんな人間に関わったところで得るものなど何もないからだ。気分も悪いし、時間の無駄である。

 どんなに小さな物事でも前向きに取り組んでいる人間と、悪口しか言わない人間。どちらを応援したいか、一目瞭然だ。

 「1日5分でもいいから毎日筋トレしている人間」と「何もせずに筋トレしている人をバカにする人間」と例えれば、より分かりやすい。

 悪口しか言えない輩に対する考え方として、ベーシストのBunさんが下記のように仰っている。とても賛同できる内容なので、文章を一部引用させていただく。



指摘でもアドバイスでもなく、明らかに人を傷つける目的で発せられた悪口。

少なからず心はザワつきます。

ただ、そんな心ない落書き程度の言葉に振り回されるのは辛い。

そんな、人の悪口に振り回されるあなたにとって置きの情報があります。



上にいる人はあなたの悪口を言いません。



わかります?


悪口を言ってくるのは、いつだって下の人間です。

事実、年収や人望があなたよりも上の人はあなたの悪口を言ってないはずです。

上の人たちがあなたに何か進言があるとすれば、それは指摘でありアドバイスです。そして何よりあなたに直接言うはずです。

陰口なんてもってのほかだし、直接言う時もあなたの顔を立てた言い方をするはずです。

(中略)

悪口が出るのは、暇だからです。

満たされない自分の心に帳尻を合わせるために、あなたという他人を貶めているだけです。

事実、下々がセレブを叩くための雑誌はあっても、セレブが下々を叩くための雑誌なんて無いでしょ?

ゆえに、もし今あなたが悪口を言われているのだとすれば、それは下々からの嫉妬です。

「あんなごときが上に行こうとしてからに!許せない!ムキィー」です。



 Bunさんの仰る通りだ。暇だと悪口が出やすい。趣味でもいいから、何かやっていればそんなことはない。テレビゲームでもいいし、スポーツ観戦でもいいし、映画鑑賞でもいいし、イラスト・漫画執筆でもいい。暇をつぶせて、ポジティブにできる物事は何でもある。

 それと「下」の輩というのも、同感である。「上」で頑張っている人・物事を前向きに取り組んでいる人はそんなことしない。私個人の人間関係で言うなら、共育学舎の三枝さんや大崎上島のNさんやMさん、サポステの相談員であるTさんといった方々である。そうした方々は悪口なんて言わない。


 悪口なんて普通の人は言わないし、言ったとしてもすぐにやめて、他のポジティブなことに精を出す。いつまでも悪口しか言えない輩は、「自分は何もない可哀相な人間です」と周囲に言いふらしているようなものである。

 そんなくだらないことするなら、もっと生産的なことすればいい。筋トレでもいいし、上述した趣味とかいろいろある。

 そんな私が最近やり始めたのは筋トレ。口より先に体を動かす。そんな感じでやっていこうと思う。


「惰性で働きたくないな」って話

 以前大崎上島のNさん(仮名)との電話で、Nさんから聞いたのだが、世の中には惰性で仕事をしている人がいるという。確かに私の周りでもそういう人間はいた。以前勤めていたIT企業では、会社や上司に対する不平不満をギャーギャー騒ぎ立てるバカみたいな同期がいた。

 Nさんからのお言葉で思ったのは、「惰性で働きたくないな」ってこと。

 「惰性で働く」というと、やっぱりポジティブな意味はなく、ネガティブな意味が含まれる。仕事がつまらないとか、退屈だとか、嫌々だとか、とにかく前向きじゃしない。私自身、先日スーパーの品出しバイトの就労が決まったので、なおさら「惰性で働きたくない」ということを意識するようになった。

 Nさんの仰る通り、惰性で働いている人は世の中多いように思う。ネットの界隈を見ても、そういう人はかなりいそうだ。

 ネット上で言うと、他人を馬鹿にする言動をしたり、ちょっかいやからかう姿勢を見せたり、自分のことは棚に上げて他人のことばかりを取り上げるような輩だ。こうした輩の行動を見てみると、おそらく働いてはいる(もしくは学業に従事している)のだろうが、己の本分には前向きに取り組んでいないのだと思う。でなければ、前述のようなバカげた言動をする暇などないからだ。

 ネット上だけでこうした輩がゴロゴロいるくらいなのだから、リアルな世界でも同じようにいるのだろう。

 「惰性で働く」ということは、「目の前の物事に前向きに取り組まない」ということだ。淡々とやることもせずに嫌々やるなど、傍から見ればやる気のないふざけた態度だ。それで何食わぬ顔して給金をもらおうとするのだから、タチが悪い。

 どんな仕事(作業)であろうと、やるべきことに対する動作はただ一つ。黙って前向きに取り組むことだ。デスクワークだろうが、単調作業だろうが、体を動かす作業であろうが、同じことだ。どうしてもやるのが嫌なら、辞めてさっさと他所に行けばいいだけの話。

 以前大崎上島に滞在していた際に、私は島の方々からいろいろなお仕事に従事させていただいた。どんな仕事であっても文句を言わず、粗相のないように前向きに働いた。その結果、島の方々から信頼を得ることができた。作業自体が達成できたこと自体も嬉しかったし、人から信頼してもらえて、働いたことに対する対価である給金をもらえることも嬉しかった。今でもそのことを思うと、働くことに頑張ろうという気になれる。

 結局、惰性にならずに前向きに働けるけるかどうかは自分次第だってこと。惰性で働けば、惰性の気持ちのまま。だが、どんな仕事でも前向きに働けば、チャンスは開ける。それが雑用のような仕事であってもだ。これはベーシストのBunさんが自身のブログで仰っていたことだ。それが↓の記事。



 どうしてもチャンスが見込めないような仕事(ブラック企業とかの)だったら、辞めてさっさと違う仕事を探す。これはサポステのイベントでお会いしたとある方のお言葉なのだが、ここでは割愛する。


 私もバイトが決まったので、あらためて「惰性で働きたくないな」っていうことを認識した。ポジティブな結果を出すためにも、どうすれば前向きに働けるのか、いろいろ考えていこうと思う。

 それでは、今日はこの辺で。


自分で自分を動かす気概のない人は、ネットでもリアルでも淘汰されていく

 自分で自分を動かす人は、さまざまな所で活躍し、さまざまな結果を得ている。活躍というのは、何かしらの活動に従事したり、そこでお手伝いや仕事をさせてもらったりしてるということ。結果というのは、仕事やお手伝いをすることで対価としてのお金をもらったり、そこで知り合った方との交流ができたりするということ。

 それと同時にブログやTwitter、Facebookなどの登場で、自分だけのサイバースペースを持って、そこで活躍する敷居も低くなった。敷居が低くなった分、誰もが自分のサイバースペースでさまざまな活動や情報発信を行うことができるようになった。ネット上での活動や情報発信はいずれネットにとどまらず、リアルの生活や活動などにも反映され、ネットでもリアルでも良い結果をもたらすようになった。

 上述に挙げた事柄はどれも「自分で自分を動かす」という行動を起こした結果からなるものだ。こうしたことで大事なのは、「自分で自分を動かす気概を持って行動に移せるか否か」ということ。

 自分にとって興味がある物事、素晴らしい物事、心の底から従事したいと思える物事などに、「私もやってみよう!」と思って行動できるかどうか。もしくは、他人からネガティブな言葉をネチネチふっかけられても、「んなこと知らねーよ。俺は俺でやってやるぜ!」と行動できるかどうか。

 特に気概という意味では、上述の「んなこと知らねーよ。俺は俺でやってやるぜ!」という想いでやれるかどうかが重要になってくる。

 ネットを見ていると、そうした気概のない人達がけっこう多い。自分のサイバースペースを持とうともせずに、文句ばかり言っていたり、つまらないことに執着ばかりしていて、結局何もしない人達のことだ。こういう人は自分で自分を動かす気概がない。ネットだけでなく、リアルでもそういう生活や姿勢で過ごしているのだろう。

 それの何が問題なのかと言えば、そういう人達はネットでもリアルでもいずれ淘汰されていくということ。

 自分で自分を動かす気概のある人々はどんどん行動して、先へ進んでいる。さまざまな活動や仕事に従事させてもらったり、新たな人々との交流を築いたりして、充実した生活や活動を送っていく。それはリアルだけでなく、ネットでも同じように反映される。Facebookなどを通じて、より親密な関係を築く。そうしてますます行動していく、というポジティブなスパイラルができあがるのだ。

 逆にそうじゃない人達、すなわち自分で自分を動かす気概のない人達は結局何もない。自分だけのサイバースペースも持たず、誰かと交流することもなく、何かしらの活動や仕事に従事させてもらえることもなく、終わる。そうしていくうちに自然とこういう人達はネットでもリアルでも淘汰されていく。そうした人達にかまっている余裕や時間などもったいないから、行動する気概のある人は「こんなヤツの相手をしたって無駄だから離れよう」とそうした人達をどんどん切り捨てていく。そうして周りには誰もいなくなる。

 そこで文句を言おうが、つまらないことに執着しようが、結果は同じ。「自分で自分を動かす」という考えと行動に至らなければ、何もないのである。

 じゃあ、どうすればいいのか?

 何度も書いているが、大事なのは自分で自分を動かすことなのである。

 生活でも、仕事でも、趣味でも、どんなこともでもいいから、まずはそれらに関する行動を起こすことだ。自分が気になる物事があれば、それについて調べたり、実際に触れてみたりすればいい。行ってみたい場所があるのなら、そこに行けばいい(今すぐ無理だとしても計画を立てたりすることを始めればいい)。畏敬の念で会ってみたい人がいるのなら、まずはその人とのコンタクトを試みればいい。

 そうしたことで気概を見せるのである。他人からくだらない言葉を言われても、「んなこと知らねーよ。俺は俺でやってやるぜ!」という感じでさっさと行動してしまえばいい。こういうことはやったもん勝ちなのだ。やってないヤツはどんどん淘汰されていなくなっていくのだから、相手にする必要はない。

 どんな小さなことでもいい。まずは行動してみる。そこからどんどん拡げていけばいい。疲れてしまったら、ちょっとばかし休んでもいい。動くのは自分自身だ。他人ではない。自分で決めればいい。自分で自分を動かすことほど、有意義なことはないのだから。


何もしないで「ニート・ひきこもりを受け入れろ!」と騒ぐ輩は、他人に依存して逃げているだけの愚か者である

 以前こちらの記事でも書いたのだが、当ブログのコメントにウジウジと居座る輩が出てきた。この輩は主体性がなく、自分で何かを成そうとする自立の意識が全くと言ってもなかった。それどころか、「他人が変わるべき。他人が動くべき」と言わんばかりに、他人に対して「ああでもない、こうでもない」といった文言ばかり並べていた。

 その輩が以前こちらの記事にて、以下のような主旨のコメントを残してきた。原文は消してしまったので、私が思い出した限りでの内容を書いていく。

あなたの考えには危なっかしいものを感じます。
あなたはがんばらないニート・ひきこもりは認めないそうですが、自分がいまやっている就活とかがうまくいかなくなって、彼らと同じ穴の狢になった時に、自分で自分の首をしめることになるのですよ。
もう少し寛容になった方がいいと思います。



 私はこのコメントを読んだ時、呆れるほどうんざりした。

 さっきも言った通り、この輩には主体性がない。「相手がどうの…」と他人に対する要求ばかりで、「自分がどうするか」といった主体的(自主的)な行動や意識がまったく見られない。「動くべきは他人であって、自分じゃない」というわがままが見えている。自分自身は一切動こうとしない。

 「同じ穴の狢になったら…」というが、なぜそこで自分自身が動こうとしないのか。同じ穴の狢になったとしても、「なんとか頑張って、自分から抜け出そう」とか「そうならないように、普段から気を付けよう」といった意識がまったく見られない。どこまでいっても、自分で何かをしようとする意識がなく、他人ばかりに要求を通そうとする。

 以前も書いたが、この輩は他人に依存している。依存しているから、自分で何かをやろうとしたりする意識や思考がない。いつまで経っても「他人がどうの…」と言って、改善すべき問題には自分が主語ではなく、他人が主語になっているのである。

 この輩は某有名ニートの名前を何度もあげていたが、こちらから見れば「で、だから何?」という話だ。

 ハッキリ言おう。某有名ニートのことを何十回、何百回、何千回、何万回言おうが、某有名ニートは私たちを助けてくれない。相手だって所詮は人の子。万能の神様じゃない。いくらすがろうが、崇めようとしようが、最終的な自分自身の問題は自分自身で解決しなければならない。

 この輩はハッキリ言って、甘ったれているのだ。大方「何かあっても、某有名ニートに助けてもらえばいい」といった、依存の魂胆があるのだろう。だから、某有名ニートの名前ばかりをあげて、自分自身は何もしようとしない。そうやって他人に依存することしか考えていないのだ。

 それともう一つ。この輩は逃げているのだ。

 「働きたくない、社会が悪い、他人が悪い、嫌だ嫌だ嫌だ…」

 こんな風に目の前の生活や仕事、自分自身のことなどのいろいろな物事にろくに向き合おうとせずに逃げて、文句ばかり言っているような輩なのだろう。自分の問題や不満に対して、改善のために考えたり行動したりしているのであれば、こんなことはない。改善すべき問題への行動も、他人が主語ではなく、自分が主語になるはずである。「他人がどうの…」ではなく「自分自身がどうするか」という風に。

 いろんな物事から逃げているから、他人に依存しようとする。だから、自分自身が何かをしようと行動する意識が見られない。結局はそうやっていろいろな物事に向き合おうとせず、ただ単に逃げているだけだ。

 そうやって逃げたいのであれば、勝手に逃げればいい。だが、「他人が変わるべき。他人が動くべき」と言わんばかりのくだらないわがままは言語道断である。それを他人に対して貫こうとするのももってのほか。逃げているくせに己のわがままを通そうとするのは、負け犬以下のゲスな行為だ。それこそ、根本から考え直すべきことであろう。


 最後に今回のコメントに対して一つ。

 「同じ穴の狢になったとしても、テメエみたいな負け犬とは絶対一緒にならねえよ」

 同じ穴の狢になったからといって、「ニート・ひきこもりでいいや」と言い合っているようでは、単なる負け犬同士の傷の舐め合いで、何の進展もない。そうではなく、「どうしたら自分自身がより良くできるのか」を考えて行動して、悪い状況から脱却できることを心がける。

 前述した通り、某有名ニートの名前をどんなに出したところで、某有名ニートは助けてくれない。そんなのに過剰な期待をかける方がお門違いというもの。この輩はいい加減に自分自身の現実と向き合うべきだろう。それが理解できないのであれば、いつまでも自分の人生が好転することはない。いつまで経っても駄々をこねるだけのガキである。

 他人に依存し逃げているのは愚か者の極みである。自分で自分の首を絞めているのは、この輩の方である。そうしたくなきゃ、自分で自分を動かせ。まずはそこからだ。