JINS PC

 2週間ほど前に父からの勧めで、JINS PCを購入。昨日受け取りに行き、今日から早速かけています。下の写真が私が買ったJINS PC。

JINS PC

 JINS PCは、最近出たばかりのメガネのベンチャーブランド「JINS」が発売しているメガネ。PCのディスプレイから放出されるブルーライトなるものから、目の負担を軽減してくれるというもの。レンズだけで値段は4000円ほどで、あとは別途でフレームを購入。

 レンズが透明のものと若干色がかかっているものの2種類あり、私は後者を購入。透明なものよりも色がかかっている方が、目に負担をかけるブルーライトのカットの割合が大きいとのこと。


 さっそくかけてみると、確かにディスプレイを長時間見ていてもあまり苦じゃなくなりました。目がチカチカすることもあまりないです。買って良かったです。


「JINS PC」公式サイト


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いまの仕事を辞めたらどうなるのか?

 毎日の仕事のつらさとうんざり感から、自暴自棄になって「仕事なんか辞めて、自由になりたい!」と心の中で何度も叫ぶことがある。しかし、この叫びの後にいつも思うことがある。「いまの仕事を辞めたらどうなるのか?」、と。


 この疑問について、(記事に書ける範囲で)軽くシュミレーションをしてみた。

 まず、当たり前のことだが、収入はゼロ。生活に必要な私の経済的基盤は、会社への労働で支払われる給料しかない。株やFXなどの副収入も無いため、無一文になる。

 収入ゼロじゃ生きていけないから、ハローワークや東京仕事センターなどで求職活動をする。といっても、私のような新卒で就職したような人間には、特別なスキルや実績もないため、市場で売りにできる人的資本がない。さらには履歴書にブランクができてしまうため、雇い主からはネガティブに見られる。就職先はなかな決まらないのは言うまでも無い

 私は現在実家暮らし。仕事をしていれば給料は家計費として家族に渡せるが、仕事を辞めればそれができなくなる。世間の言葉で言うなら、この状態はニートにあてはまるだろう。親の資金力で生活していくことになるから、世俗のしがらみが一層苦しくなる。

 自分自身の具体的な生活はどう変わるだろうか。私の性格と照らし合わせて考えてみると、ネガティブな感じになるのは目に見えている。求職活動しまくるも、就職できずに四苦八苦しているニート。現代日本の社会問題の当事者の一人になっていることには変わりがない。

 こうして考えてみると、やはりせっかく就職できたのだから、「辞めることは先送りにして、これからどうするのかをもっと考えて、行動を起こした方が良いな」と考えるようになり、気持ちも落ち着いてくる。


 とはいえ、このまま働いて、自分が幸せに感じるかどうかを考えてみると、「それはない!」と断言できるほど強く感じる。やはり今の仕事にせよ生活にせよ、少なからず不満がある。最近は精神疾患が悪化するくらい、その不満の許容範囲が越えてしまっている。

 なにより私が欲している自由が何一つない。私にとっての自由は、高村友也さんが述べた「誰もが知っている単純な欲求」であり、誰もが求めてやまない秘宝のような存在である。自由を得ることも無く、追うこともできないのに幸せな生活を築くのは、私にとって魅力的だとは思えない。


 私はいまの仕事(あるいは生活)を死ぬまでやろうとは、決して考えていない。なにかしらのことが起きた時に「もう辞めた方が良いな」と、キレイさっぱり気持ちを切り替えるつもりだ。もうその時になったら、私が自由を求めて人生という名の航海に出る日も近いだろう。


心がポッキポキでも叫びたい一言

 ここ最近仕事がうまくいかず、心がポッキポキに折れまくっています。体調不良になることもしばしば。仕事の多さから、産業カウンセラーなどの支援機関もなかなか頼れないので、現状打破が難しい。早く何とかしたいところ。


 無意味で他愛のないことですが、一言叫ばせてください。

 自由が欲しい!!

 仕事に対する感想は、もうこの一言に尽きます。


ブログ開設1周年!

 うっかり忘れていましたが、今月の4日で当ブログは1周年目を迎えることになりました。

 開設した当初は上手く続けられるかどうか不安でしたが、思っていた以上に続けられることができました。ブログを開設しても1年未満で更新が止まってしまうブログが多い中、自分は1年間続けることができました。なんだかんだ言って、ブログを続けていてとても楽しいです。


 ブログ更新のお知らせとしてTwitterも始めましたが、こちらもそれなりに利用しています。ブログとTwitterをやると、多くの人はTwitterの手軽さに慣れてしまって、ブログがあまり更新されなくなったりしますが、自分はまだブログの方に熱が入っています。

 ブログの方が文字数をあまり気にせず記事を書いたり、リンクを貼ったり、画像を載せたりできるので、私はTwitterよりもブログの方が好きです(記事も永続的に残せるところも魅力的)。またFC2ブログの場合、Twitterと連携で、ブログを更新すれば、更新のお知らせのツイートも自動的にやってくれます。ブログをやった方がTwitterの更新もできて、一石二鳥です。

 と、ブログの利点に関する話ばかりになってしまいましたが、Twitterが嫌いなわけではないので、あしからず。


 ブログの来訪者は現時点では平均して20人台。あまり相互リンクやランキング登録もしていないので仕方ない数値ではありますが、来訪者数が増えて、自分が書いた記事を読んでくださる(見てくださる)方が増えてほしいなあ、と思っています。

 そのためにも、投稿する記事の質の向上や、ネット上での交流をより盛んにしていきたいと考えています。相互リンクなどでも可能ならば、より行ってみたいです。


 最後に、これまで当ブログを訪れた方々、現在も訪れている方々、今後とも当ブログサイトをよろしくお願いいたします。


憲法の「国民の三大義務」を自由化する

 日本の学校の授業で誰もが学んだ日本国憲法にある「国民の三大義務」。義務の内訳は、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)。

 私は最近、この三大義務の存在について疑問を持ち始めている。というのも、上記の3つはいずれも義務という形で国民を強要させている。より良い国政や社会実現のためとはいえ、義務は義務。何かしらの成果が出ているならまだしも、いずれも大した成果が出ていなかったり、何かしらの問題が生じている。そのことは現在の日本の社会情勢をみれば明らかだ。

 そのような情勢下の中で、今後も三大義務を貫き通すのは意味があることなのだろうか。私はこの疑問に対して、いっそのことを義務を否定してしまばよいと考えている。意味がないことを続けても状況は変わらないし、ましてやネガティブな状況が続いているならなおさらだ。

 否定といっても、存在そのものを抹消したいと言いたいのではない。上記の内容を自由化してしまえばよいと考えている。自由にしてしまえば、各個人が好きなように(自己責任の範疇で)上記の三大義務をやることができる。自由な情勢の下では、三大義務を行う側も行わせる側も各々の自由なやり取りや取り決めによって自発的に行われる。

 わざわざ国家が義務として強要しなくても、アダム・スミスの「見えざる手」の働きによって、それぞれの要素の質が向上していき、社会全体がよりポジティブになっていく。


 では三大義務の各要素がどれくらい自由化できるのか。ザックリと書きまとめていく。

 教育の義務は、教育を受ける子女ではなく、保護者の義務であるとされる。しかし、教育の義務を最低限こなすために用意されている公立学校はもはや人気がなく、私立学校への受験に人気がある。義務を課せられている保護者には公立小学校は、納得できるものではないのが現状だ。

 橘玲さんは私立学校の受験に人気なのは、「我が子を安全に教育を受けさせる場を求めているからだ」と述べている。教育機会の平等を実現するためにある公立学校と、市場の原理が働き、質の高い教育を提供する私立学校。前者は残念ながら、底辺校の存在などからも分かる通り、機会は平等であるものの、教育の質が高いとは言えない。

 学校制度そのものを民営化し、教育バウチャー制度などで流動的な教育カリキュラムを実現すれば、教育の自由化は実現可能である。

 勤労の義務だが、もはや労働自体不要なものだと考えている。

 産業革命以降、人々の労働は人の手から機械の手によるものに変わっていった。ブルーカラーの仕事からホワイトカラーの仕事への変貌も遂げた。そのホワイトカラーも徐々に減りつつある。以前こちらの記事で述べたが、近い将来多くの人々はマックジョブ(低賃金、待遇劣悪、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事)に就くとされる。

 もはや労働自体が希少なものになり、完全に人の手で必要とされる労働は、クリエイティブクラスかスペシャリストの職業しかないのだ。だとしたら、労働自体も義務化される必要はなく、自由化してしまえばよい。生きていくための必要最低限のセーフティネットとしてベーシックインカムを導入すれば、働けない人(働かない人)にも対処できる。

 これで勤労も自由化できる。

 最後の納税の義務だが、これは自由化は難しい。アナルコ・キャピタリズムのように、国家そのものの存在を否定するなら実現は可能かもしれないが、外交問題や刑務所運営など民間に任せることが難しい事業などは国家でないと成り立たない可能性が大きい。

 納税の自由化は難しいが、代わりに移住の自由を認める(多用する)。こうすることで、国家や行政の間で競争原理を働かせ、国民(市民)にどの国家(行政)を選ばせるのかを自由に選択できるようにする。納税そのものの否定は難しいが、誰に(どこに)納税するかの自由は決めることは可能であろう。


 以上、かなりザックリと書いてきたが、教育と勤労については自由化できる可能が極めて高い。憲法に明記されている事柄もいくつか自由化されれば、より自由な社会への実現が可能になるはずだ。



<参考>
Wikipedia「義務」
ミルトン・フリードマン『選択への自由』
橘玲『知的幸福の技術』