『全然気にしない技術』

ぜんぜん気にしない技術ぜんぜん気にしない技術
(2013/12/13)
家入 一真、森田 正康 他

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 最近出版された家入一真さんと森田正康さんの本。家入一真さんといえば、2014年2月の東京都知事選挙で立候補した若き実業家。以前から、彼の本を読みたいと考えていて、最近出版された本書を購入。本書は家入さん個人の本ではなく、大学教授兼実業家でもある森田正康さんとの共同著書になります。


 本書はタイトル通り、人生や社会で起きるさまざまな物事について、気にしない(あまり深くとらわれない)ことを述べた本。

 この本のタイトルは『ぜんぜん気にしない技術』だけど、これは「傍若無人になれ!」ということじゃない。だって、本当に何も気にしない人はただの愚か者だと思うから。
 ただ、僕たちはいつだって自分に正直に、やりたいことに一直線に進んできた。なかば煩悩に引きずられるようにして突き進んできた結果として今があると言ってもいい。
 (中略)
 だいたいは気にしなくてもいいようなことだったりする。
きっと自分でも気にしすぎとはわかっているけど、どうしても割切って考えることができないんだと思う。
 (中略)
 だけど、自分より周りを優先させるなんて、もったいないことだと思う。たった一度しかない人生だから、もう少し自分のことを考えてみてもいいと思う。



 著者らが「気にしすぎだ」というさまざまな物事について、お二人の考えや人生観をもとに答えを書いていきます。どの記述も、一歩立ち止まって物事を捉えるような視点で書かれており、「やればできる」といった過剰な自己啓発はありません。

 本書でも書かれていますが、家入さんと森田さんは学歴も人生経験もまるっきり違う方々。家入さんは、家が貧乏で、最終学歴は中卒で、ひきこもり経験有り。森田さんは、家がお金持ちで、学歴フェチで、渡米(留学)経験有り。これらを書いただけでもまるっきし正反対の人間ですが、お互いの人生経験を通して得た価値観や考え方は似ていると言います。

 本書の内容をちょっとだけ紹介。例えば「夢も希望もありません」という問題については、以下のように書かれています。

 「やりたいことなんてない」という人がいる。本人はそのせいで困っていると思っているかもしれない。たしかに何もないよりはあったほうがいい。そのほうが安心できるからだ。
 でも夢や希望をもったところで、それらはきみの人生を保障してくれるのだろうか。果たして、きみの人生を成功へと導いてくれるだろうか。
 もちろん、何もしてはくれない。
 だって夢も希望も目的でしかない。人生を確かなものへと導くのは、夢でも希望でもなく自分自身。誤解を恐れずにいえば、夢も希望もただの荷物でしかないとぼく(家入)はおもっている。
 (中略)
 夢も希望も曖昧で頼りない存在。生きる糧になることもあるけど、足をひっぱることもあるから気をつけたほうがいいと思う。



 ここでいう夢と希望は、将来の目標や目的のことを言うのでしょうが、これは私も盲点でした。

 世の中では「目標や目的を持って行きなきゃいかん」という風潮が強いですが、本書では「気になったらまずやってみて、つまぞきそうになったら、いったん身を引いて再度やってみる」というトライアンドエラーのやり方をアドバイスしています。

 本書の内容は「こんなことはしなくてもいい」「気にしてもしょうがない」といった(良い意味で)消極的なアドバイスもありますが、「そんなことだったらやらないほうがいい」「今やることにしっかり結果を出すべき」といった積極的なアドバイスもあります。いくつかのアドバイスで、「やるべき目の前のことはしっかりやろう」という考え方が、けっこう表れています。


 読み終えた感想ですが、いろいろ参考になるところも多く、それなりに良書でした。「お、こういう考え方もありなんだな」と思えるところも多かったです。

 ですが、具体的なハウツーに関しての本ではありません。自己啓発ではないですが、「こう考えればスッキリするよ」いった感じのアドバイスなので、具体的にどうするかなどは書いていません。本書の最後では、以下のような言葉が書かれています。

 働きはじめる前も働きはじめた後も、ひょっとすると普通というよりはちょっとだけヘビーな人生だったかもしれない。「人生に苦労は付きもの」なんて使い古された言葉があるけど、山あり谷ありしながら乗り越えてきた。そのなかで僕たちが得てきたもの、捨ててきたものを一日の授業として伝えた。
 だけど、覚えておいてほしい。これが答えじゃないということ。もっともっと大切なことがあるということを。
 それは、きみ自身で考え抜くこと。この授業は、あくまでもそのサポートにすぎないということを忘れないでほしい。



 最終的には、「自分で考えよう」ということなのでしょう。具体的なハウツーを知りたい方には、あまり向かないと思います。また、書かれている内容によっては「これ、別の本でも書いてあったな」という既知のものもあるので、人によっては新鮮味が無いと感じるかもしれません。

 物事を気にせず、何かをするきっかけづくりにちょうど良い本だと思います。家入さんの本を読みたい方にもオススメ。


IERINET(家入一真さんの公式サイト)

森田正康さんのTwitter


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PS3を振り返る

 2014年2月22日。プレイステーション4(以下:PS4)が日本で発売された。海外で先行発売され、3ヵ月ほどの後に日本でも発売された。こうなると、今まで次世代機ともてはやされたプレイステーション3(以下:PS3)も、前世代機となってしまった。

 今回はPS4の発売を機に、PS3についていろいろざっくばらんに振り返ってみる。


 まずPS3を振り返って思うことは、「若干期待はずれがあった」ということ。

 まだPS3が出るか否かで盛り上がっていた2005年頃。私は、当時のファミ通で組まれていた次世代機特集のPS3の事柄に目を輝かせていた。美麗なグラフィック、PS1・2のソフトが遊べる互換性、高度な演算処理機能、さまざまなメモリデバイスとの対応など。まさにパワフルなマシンそのものだった。

そのスペックで繰り広げられる名シリーズ作品『ファイナルファンタジー13』関連、『バイオハザード5』、『メタルギアソリッド4』。どれもグラフィックが綺麗で、高度なスペックを活かした演出やゲームプレイの情報には心底驚かされた。

 そうした期待を持って、発売され世に出たPS3。しかし、その期待とは裏腹に、微妙な違和感があった。

 名シリーズである『バイオハザード5』『メタルギアソリッド4』はとても面白く楽しめたのだが、ともに評判が高かった前作を越えるものではなかった。(私は未プレイだが)『ファイナルファンタジー13』に至っては、発売が延期に延期し、ようやく出たのが2009年。しかし、レビューサイトなどで世間の評判をチェックするとあまり高いものではない。関連作品として出る予定だった『ファイナルファンタジー:アギト13』に至っては、ついにPS3で長年発売されず、PS4で『ファイナルファンタジー15』という新作で発売されることになった。

 PS3自体にもいろいろと変化があった。最初に値下げの代償として、PS2の互換性がなくなってしまった。これは正直痛かった。せっかく今まで築かれてきたPS2のゲーム資産の価値が一気に下がってしまい、ゲームを遊ぶ選択肢の幅が狭まってしまった。ついでにロゴも変更され、パワフルなマシンのイメージは徐々に、無難なゲーム機のイメージへとクールダウンしていった。

 『コールオブデューティ4 モダン・ウォーフェア』や『アサシンクリード2』のような、革新的なゲームソフトももちろんあった。だが、そうした期待のシリーズも最新作が出るたびに微妙な出来になっていき、高評価を下せるようなものではなくなっていった。

 次にPS3を振り返って思うことは、「まだまだ活躍が足りない」ということ。

 PS3の性能を活かしたゲームソフトはいろいろ出ている。しかし、どうも「まだまだ足りないのではないか?」と感じることがある。

 というのも、PS3はPS2と比べてソフトの数も少なく、PS3のスペックを活かしきったゲームも少ないと感じているからだ(もちろん、ソフトの総数が多ければいいというものでもないが)。

 私は、PS4発売のの延期を伸ばしてでも、もう少しPS3の活躍期間を延ばすべきではなかったのではないか、と考えている。そうすれば、PS3の性能が解析され、性能をより活かしたソフトも出てくる。現時点ではPS3の性能を活かしきってない感じが拭えないのだ。あと最低でも5年は、PS4の発売を延ばしてPS3の活躍期間を延ばしても良かったのではないかと思う。


 せめて、PS3以上のハードを出すなら、「PS3+」とか「PS3.5」のような、バージョンアップのものでも良かったと思う。それだけ、PS3はPS2同様に、秘めたる力があると考えているからだ。


共育学舎で俗世を離れた生活をしてみる

 突然ですが、私CHAGEAS-FANは3月5日(正確には3月6日)から共育学舎への長期滞在することを決めました

 去年の11月に茨城県の農業法人を退職して以来、ずっと迷いに迷い続けていました。「このままどうしよう…」「就職でスキルアップした方がいいかもしれないけど、就活する気力が出ない…」「かといって、正社員でも厳しい御時勢なのに、自分なんかじゃ余計上手くいかない…」といったネガティブなことが頭の中を堂々巡りしていて、自分の人生をどうするか・今後どう生きるのかがまったくもって見えませんでした。

 そうした中で、うっすらと頭の片隅に残っていて離れなかったのが、共育学舎への長期滞在でした。農業法人で勤めていた時(赤字経営などに不満が出始めた時)から「共育学舎へ戻りたい!」という気持ちがあり、「やるなら長期滞在で生活したい」と考えていました。

 そうした話を周りにすると、「共育学舎に行って、何をするの?」「あそこは就職の場じゃないんでしょう?」といった否定的な疑問を投げかけられます。ですが、これだけは声を大きくして言いたい。

 「就職がどうの…」ではなく、「自分がどうしたいのか」を考えた結果、共育学舎へ行くことを決めたのだ。

 と。共育学舎で過ごした日々は本当に素晴らしかった。かかりつけのお医者さんからも、「行っていた時の方が、顔色が良かった」と言われたくらいに。思想や生活システムも、大変共感できることばかりの日々でした。世間一般の俗世の生活とはだいぶ異なりますが、私にとっては天と地ほどの差がありました。

 去年は、共育学舎で学んだことを機に農業をやりたいと、茨城県の農業法人で正社員として再就職しました。ですが、赤字経営などの問題をはらむ農業法人に徐々に嫌気がさし、それに反比例する形で「共育学舎に戻りたい」という気持ちが強まっていきました。就職しても、共育学舎の日々を忘れたことは1度もありません。


 共育学舎へ行くことを後押ししてくれたのは、農業法人の同僚だったMさん(仮名)のおかげでもあります。Mさんは農業法人に勤める前は、2年ほどお坊さん(仏教僧)になるための修行生活していました。その経験から、私の共育学舎の話にも興味を持って、聴いてくれました。そのことから、私はMさんに何度か人生相談をしており、特に共育学舎に行くことに対する相談をよくしてもらいました。

 そのMさんが語ってくれたことの中で、興味深い話があります。Mさんはお坊さん生活をした経験から、俗世を離れた生活をしてきました(具体的にどのくらいかと言うと、俗世に出た時に街中の自動販売機に衝撃を受けたくらい)。私は「俗世を離れたら、俗世に戻れなくなるのでは?」と問いかけたところ、そうではないことを教えてくれました。

 「俗世を離れた生活をしてみると、逆に戻りやすくなる(俗世に馴染みやすくなる)」

 Mさん自身がそうだったと語ります。「お坊さん時代の生活経験があるからこそ、以下の自分がある」。Mさんはそう語っていました。だからこそ、Mさんは私が共育学舎へ行くことに賛同してくれましたし、推してくれました。

 「やらない後悔より、やる後悔」

 そのことも語ってくれました。これらの言葉もあり、私は共育学舎へ行くことを決めました。


 とはいえ、この決断に至るまで、かなりの時間が過ぎてしまいました。その間にも自分の資産は減り、精神的にも徐々に無気力な日々が続いていきます。そうした悪循環を断つ名目でも、今回の長期滞在に行くことに意義があると考えています。

 「何もせずに不安ばかりが続く日々なら、いっそ共育学舎へ飛び込んで、しっかりと自分自身のことを見つめ直そう!」

 とも。なんにせよ、ある程度いろいろ考えたら、まずは行動することから始めようと思います。私にとってのその第一歩が、共育学舎への長期滞在なのです。


漫画喫茶で漫画を読んだら得になるか?

 数日前に、地元の漫画喫茶に初めて立ち寄った。理由は2つある。

 一つは、漫画『北斗の拳』を読みたくなったこと。最近北斗の拳にハマり始めて、原作の単行本を読みたいと思っていた。ブックオフで単行本を集めるのも面倒だし、集めたところで飽きたら売却して処分することになると思っていたので、買わずに読む方法を探していた。買わずに済む方法として、漫画喫茶を選んだ。

 もう一つは、漫画喫茶そのものを利用した経験がなかったので、この際行ってみようと決めたこと。以前、高円寺のアメコミ専門の漫画喫茶に寄ったことはあるのだが、世間一般で言われる漫画喫茶(ネットカフェ)には、これまで利用したことがなかった。高校生の頃から利用したいと思ってはいたが、結局行かずじまいだった。そこで、北斗の拳を読むがてら、今回漫画喫茶に立ち寄ることにした。


 利用した時間は3時間。料金は、3時間パック900円で後払い。座席はオプションの課金なしのもので、個室かオープン席かのどちらかを選べたが、詳しいことはよく分からなかったこともあり、オープン席にした。個室でもオープン席でも、机にはデスクトップPCが置かれており、インターネットなどで自由に使える。

 私の地元にある漫画喫茶はフリードリンクサービスがある(大抵の漫画喫茶は、どこもそうだと思うが)。コーラやジュース、コーヒーやココアなどの清涼飲料は飲み放題となっている。

 私がお目当ての北斗の拳は置いてあった。北斗の拳は全部で27巻。文庫版ではなく、オリジナルの単行本だった。

さっそく私は、フリードリンクでコーラを飲みながら、北斗の拳を読んでみた。5冊分一気に持ちだし、それらを机に置いて、一冊一冊読んでいった。

 当初私は「27巻ぐらい、3時間で読み終わるだろう」と高をくくっていたが、考えが甘かった。結果は、3時間で読み終えた北斗の拳は1巻から10巻までの10冊。フリードリンクをつぎに行く時間やトイレに寄った時間を除いたとしても、全27巻を読むことは不可能だった。


 さて、今回利用した経験(結果)から、「漫画喫茶で漫画を読むことは得なのか?」を考えてみる。

 まず、漫画喫茶で漫画を読むという行為のみに着目した際、それに対するメリット・デメリットを考えてみた。それらを箇条書きにして、下記にまとめてみた。

【メリット】
・漫画は全巻もしくは最新刊まで揃っている。
・座って、飲みものを飲みながら、漫画を読める。
【デメリット】
・時間制限がある。
・読みたい漫画はメジャーな作品じゃないと揃ってない可能性が高い。



 メリットから見ていこう。

 「漫画が全巻もしくは最新刊まで揃っている」のは大変ありがたい。ブックオフなどで長編漫画を買って集めようとすると、最初の巻数は集めやすいのだが、後の巻数になるにつれ集めにくくなる。ブックオフなどで探しに出かけても、見つからずに不発に終わることが多いので、初めから全巻もしくは最新刊まで読める漫画喫茶はありがたい。特に「一度読めば充分」ということであれば、尚更だ。

 次の「座って、飲みものを飲みながら、漫画を読める」というのも良い。自宅ではそう頻繁に飲まない飲みものでも、フリードリンクで好きなだけ飲める。漫画を読みながら飲めるとあれば、最高だろう。「一度読めば充分」かつ「ゆったりとくつろぎながら読む」ということであれば、漫画喫茶で漫画を読めば充分である(フリードリンクがつくかどうかは店にもよるので、そこは事前に確認した方がいい)。

 しかし、デメリットがあるのも事実。

 サービスの運営上仕方が無いことではあるが「時間制限がある」というのは、ちょっと気になる。私は3時間パックを頼んだが、一冊単行本を読み終わるごとに時間をチェックしていた。長居のし過ぎで延滞料金を取られたくないので、3時間きっちり楽しめるように時間を気にしていたからだ。私は今回3時間で10冊の漫画を読めたが、人によっては「3時間でも、漫画10冊は読めない」という方もいるだろう。時間と料金の計算は後述するが、時間制限のせいで漫画をゆったりと読みづらくなる可能性も大いにある。

 次に「読みたい漫画はメジャーな作品じゃないと揃ってない可能性が高い」というのも、人によっては気になるところだろう。漫画喫茶は確かに漫画がたくさん置いてあるが、基本的にメジャーな作品に限られると思った方がいい。ブックオフではメジャー・マイナー含めて大量の漫画を扱っているが、漫画喫茶ではマイナーな漫画は少ないだろう。北斗の拳のようなメジャーな漫画なら、漫画喫茶でも余裕で見つかるが、マイナーな漫画なら漫画喫茶で探して読まずにブックオフで買い揃えた方が早いかもしれない。

 メリット・デメリットの次に、時間と値段の損得について考えてみよう。私は3時間で10冊の漫画を、900円で読めた。今後も同じように読めるかは分からないが、同じように読めると仮定して計算してみる。

 この場合で単純に計算すれば1冊90円で読めたことになる。ブックオフの最低価格が1冊105円で考えると、絶対額では安い。さらにフリードリンクがつくのだから、相対的に見ても安くなる。先ほど述べた「一度読めば充分」と場合なら、尚更安く感じる。

 私は今回「3時間で10冊読めた」ということが分かったが、漫画喫茶でどのくらい読めるのか分からない場合は、とりあえず1度2~3時間程度内で何冊読めるかチェックしてみるといい。チェックした結果から計算して、絶対額でも相対額でも安くなるかどうか確認してみると分かりやすい。


  得になるか否かの結論を言うならば、得になる。今回の漫画喫茶で、漫画を読むのに新しい選択肢が加わることができた。今後も(メジャーな作品で)読みたいものがあったら、漫画喫茶に寄ってみたいと思う。


斎藤環さんの講演会に行ってきました

 2月19日の今日、精神科医としてひきこもりに関する研究をされている斎藤環さんの講演会に、母と共に行ってきました。この講演会は、サポステでチラシを見つけました。ひきこもりのケがある私には興味深い講演会だったので、同じく興味がある母と同行しました。

 会場は、地元の公共施設。先着100名様とチラシには明記されていましたが、講演会には100名以上の方が来場していました。参加費は無料。講演時間は2時間。地元の方のみということですが、もしかしたら地元以外の方も来ていたのかもしれません。

 講演会の題目は「なぜ不登校・ひきこもりになるのか」。不登校・ひきこもりになる原因解明や対策について、斎藤さんが自身の研究や経験をもとに講演しました。

 最初は不登校に関する説明から。斎藤さん曰く、不登校は以下の3つに大まかに分けています。

1.身体的疾患をもつもの
2.精神病(発達障害含む)が疑われるもの
3.神経症様症状を呈するもの



 専門家によって分類の内容は変わるそうなのですが、斎藤さんはあまり分類せずに上記の内容にしているそうです。

 不登校についての対策としては、「原因追求・解決をしっかりすること」「ひきこもりを良くするマニュアルはないから、試行錯誤でお互いに信頼しながらやり取りする」などの案が出されました。一方的な教育などを善しとせず、親子双方の関係や信頼を重視しながら、互いのやり方を尊重し合う内容でした。

 斎藤さんは、この講演で「社会的ひきこもり」という概念についての講演も行いました。社会的ひきこもりの定義について、斎藤さんは以下のように定義しています。

・六か月以上、社会参加せず
・精神障害を第一の原因としない


※ただし「社会参加」には、「就学」「就労」のほか「親密な仲間関係」も含まれる
※診断名、臨床単位とは言えない



 平たく言えば「社会に参加していない=社会的ひきこもり」だと言い、家族以外の関わりがないのも、それに当たると言います。ひきこもりといっても、必ずしも「外出できない」ということではないようで、病気でもないのだとか。

 最近起きた事象でもなく、斎藤さんの調査・研究では1970年代後半から増加していると言います。いろいろな特徴はあるのですが、男性に多く、社会参加(社会復帰)には自力でやることができないという点があるそうです。

 社会的ひきこもりの対策として、斎藤さんは早期発見による予防を呼びかけています。ひきこもりも長期化すると、社会参加自体が難しくなり、ますますひきこもる状態が続くからです。

 予防以外の対策として、家族の基本的な心構えとコミュニケーションの回復を重要視しています。ひきこもりの言動にも受容を持って接するべきだと言いますが、その需要にも限界設定(最低譲歩ライン)をお互いに持って、生活することが大事だと述べています。

 社会参加も、無理矢理(一方的に)させようとするのではなく、しっかりと信頼関係を築いたうえで、面と面で向いながら話すべきだと述べています。コミュニケーションの円滑化のためにも、この「面と面で向いながら話す」ことが重要だと、斎藤さんは述べていました。


 講演会に参加した感想ですが、良かったです。参考になる意見や主張が多く、ひきこもりや精神疾患のケがある私も大変納得できるものでした。

 まだ読み途中ですが、現在斎藤環さんの本を読んでいます。いずれ読み終えたら、当ブログで紹介する予定です。