明日から檜原村へんぼり堂へ行ってきます

 私は明日の10月1日から2日までの1泊2日で、東京都檜原村にあるゲストハウス「へんぼり堂」に行ってきます。

 このへんぼり堂は、私が去年和歌山県で参加した熊野床張りツアーで知り合った鈴木健太郎さんが運営しているゲストハウスです。鈴木さんは床張りツアー後にへんぼり堂を設立し、そこでさまざまなイベントを開いて活動しています。鈴木さんとは熊野で知り合って以来、Facebookで連絡のやり取りをしていました。その関係でイベントのお誘いも来ていたのですが、都合などでなかなか行くことができずじまいでした。

 今回、ニート状態であることを利用して、へんぼり堂に行くことに決めました。へんぼり堂をこの目で見てみたいというんもありますし、鈴木さんとへんぼり堂のことでいろいろ談話したいと考えていたからです。もし就職が決まってしまったら、へんぼり堂に行くのが難しくなってしまう。「いつ行くか? 今でしょ!」と言える瞬間でした。

 今回のへんぼり堂は、特にイベントがやっていない平日行くので、行っても特にイベントとかはやっていません。なので、現地では鈴木さんと談話するか、へんぼり堂近辺をぶらりと散歩するか、へんぼり堂でゆっくりくつろぐかという具合にやることがありません(当日何かしらのお手伝いなどをするかもしれませんが)。鈴木さんの話では、平日の夜だと温泉に入れるかもしれないというお話が。もし温泉に行けるなら、この上ない楽しみ。


 私自身ゲストハウスという宿泊施設自体を利用するのが今回初めて。いろいろ思うことはありますが、とりあえず明日から行ってきます。感想などは、帰ってきたら書きます。

 それでは、今日はこの辺で。


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北斗の拳並みの悪党がいるブラック企業と居酒屋

 北斗の拳に関連したサイトをネットサーフィンしていたら、とある興味深いブログの記事を見つけた。まずはその記事を読んでほしい。

楽なログ「北斗の拳とブラック企業と居酒屋」

 この記事では、北斗の拳に数多く登場する悪党ども(おそらくモヒカンども)のような、いじめなどの目先の快楽に甘んじて長期的な損をしても、それでも目先の快楽ばかりを満たそうとする輩のことについて述べている。それも北斗の拳という漫画の中の話ではなく、現実の世界での話で、である。その最も足る輩が、ブラック企業の経営者や居酒屋で従業員に悪態をつく迷惑な客だと言う。

 この悪党は、小物だから発想が貧困で合理性を欠き、それで嫌らしさをまとった残酷さを発揮する。自分がほとんど得をしないのに他人を迫害し、それがいずれは自分の損につながるのだが、そこまで考えず、他人に意地悪をすることで自分だけ得する錯覚によって悦に入る。
 このような小悪党は現実に身近にいて、それがただ嫌われているだけならまだいいが、しばしば漫画に描かれるのと同様に、いちおうの力を持っていたりするから、困ったことになる。その最たるのがいわゆるブラック企業の経営者だろう。
  もともと悪徳経営者というのはいるもので、大きくなった企業はよく悪どいことをしているものだし、ケチとかセコい経営者も珍しくない。ところがブラック企業というのは、ただ悪徳というのではない。利益とはあまり関係が無いと思われる部分にまで、従業員に対して意地悪にしかなっていないことをして、そうまでしても経営者がさほど得をしてはいない。
 そして、そういう企業の商品が売れるのは、ただ安いからというだけでなく、その客になれば自分も従業員をいじめている側になったという倒錯した快感を得られるからだ。飲食店でこき使われている店員に、横柄な態度をとって悦に入る客は、その最たるものだろう。



 この記事に書かれているブラック企業の経営者像や迷惑な居酒屋の客像は、文句無しで賛同できる。

 だが、個人的にブラック企業の経営者像については、モヒカンよりもコウケツが似合うと思う。

 コウケツは、北斗の拳でだいぶ後になって登場したキャラ。金儲けが大好きで、食料を求める人々をだまして農奴にし、大規模な農場経営をしている。どんなに人々を犠牲にしても金儲けに精を出すところは、まさに現代のブラック企業の経営者像を先取りしたようなキャラだ。ちなみに死に様は、ケンシロウによる拳の攻撃ではなく、自ら設計したワナにハマって串刺しにされる(ケンシロウ曰く「ドブネズミにオレの拳は使わぬ」)。

 居酒屋の客なんぞ所詮は雑魚のモヒカン。「邪魔する奴は指先ひとつでダウンさ~♪」のごとく、何かしらの鉄拳制裁を与えれば済む。だが、コウケツのようなブラック企業の経営者はまがりなりにも策士だから、うかつには近寄れない。「策士、策に溺れる」がごとく、策には策で対抗する。

 「キサマにはドブネズミらしい最期こそふさわしい」


ここがダメだよ『戦国BASARA3』

 数日前まで、私は『戦国BASARA3(以下:B3)』をプレイしていた。

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(2011/06/02)
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 戦国BASARAシリーズといえば、カプコンが開発する戦国時代をテーマにした無双系アクションゲームである。コーエーの戦国無双シリーズとは対を成すシリーズ作品である。このシリーズは、開発スタッフが堂々と戦国無双のパクリであることを公言したり、ぶったんだキャラ設定や世界観により、好き嫌いや賛否両論の激しい作品でもある。

 私の戦国BASARAシリーズの初プレイは、PS2の2だった。当時は『戦国無双2』にもろハマっていたこともあり、対を成す戦国BASARAシリーズがどんなものか気になっていたので、当時2000円で発売された2の廉価版を購入してプレイした。

 だが、残念ながら戦国BASARAシリーズは私には合わなかった。ぶったんだキャラ設定や世界観が合わなかったし(私は、歴史物は硬派なデザインの方が好みなので)、ゲームとしての面白さや体裁も断然『戦国無双2』の方が上だと感じたからだ。

 とはいえ、つまらないかというと決してそうではない。ゲームとしての面白さや体裁はそれほど悪いものではなかった。そうしたところは、老舗ゲームメーカーであるカプコンの誇れるところであろう。「無双系アクションゲームとしては悪くないので、元祖であるコーエー以外の無双アクションをやりたくなったら、戦国BASARAを」と思っていた。それから数年が経ち、最近になってB3に手を出したのである。

 で、このB3だが、あまりのダメな出来に途中で辞めてしまった。数人分のストーリーをクリアしたものの、あまりに面白くないので、すべてのストーリーをプレイする気も失せてしまった。古本で安く買ったオフィシャルガイドブックを参照しながら、プレイしていたのだが、それでも満足できる面白さにはならなかった。そうしたもんだから、PSmk2へ投稿したレビューも評価を低くした。

 今回の記事は、B3のダメなところについていろいろと書いていく。


 まずプレイして最初に気づいたのは、PS3とは思えない粗いグラフィックだ。PS2のグラフィックをHD化したような出来で、全体的にオブジェクトの粗さが目立つ。B3はWiiとのマルチプラットフォームで発売されたが、このグラフィックだと明らかにWiiに合わせて開発したとしか思えない。海外のゲームなどで次世代機・現行機と幅広く展開している場合、各々のハードに合わせたグラフィックで開発することがあるが、B3はそうではない。

 「グラフィックが粗くても、その分敵の表示数が増えて、ワラワラ感が出ているんじゃないの?」と思われた方もいるだろう。だが、結局ワラワラ感は大してない

 B3は、ステージ内にある敵拠点を次々と落としていくことで最終目標である敵総大将激破を目指すのだが、拠点を落としてしまうと敵兵がちりぢりに逃げ出してしまい、敵撃破数をあまり稼げなくなっている。画面に表示される敵も、PS2時代と大して変わらないため、普通にプレイするだけだと敵撃破数は500人もいかないことがほとんどだ。PS3になってから500人はおろか1000人斬りまで容易にできるようになった近年の無双シリーズと比べると、この激破数が無双系アクションゲームしていかに致命的であるかがお分かりいただけるだろう。

 それでも順次続けてプレイしていくと、次は水増しだらけで変化に乏しい冗長なストーリー構成にうんざりすることになる。どのキャラのストーリーも平均8ステージほどをこなして、1周分のストーリーが完結する。大抵のステージは出陣前にどのステージに向かうかを選ぶ分岐点があり、プレイヤーがそれを任意で選ぶことにより、ストーリーの内容に変化が生じるというもの。

 ストーリーの構成自体のコンセプトは悪くない。むしろ多様な分岐点があるストーリー自体がこれまでの無双シリーズでもなかった新しい試みである。それだけ聞くと面白羽そうに感じるかもしれないが、そのコンセプト自体を疑うぐらいにB3のストーリー構成や求められるプレイはうんざりするものである。

 ストーリーの内容であるが、水増しと言っても過言ではないほど、あまりストーリーと関係しないステージを延々とやらされる。ステージの中には専用のイベントムービーの挿入がされるステージがあるが、中には使い回しがある。戦闘中の会話が変わるだけで、それ以外は何も変わらないというステージも多い。このような内容のため、数人分のキャラのストーリーをクリアした頃にはもううんざり感が半端ないのだ。「ストーリーに深く影響するステージなんて、本当は4つくらいじゃないのか?」と疑いたくなるほどに多すぎる。

 ストーリーの展開も、関ヶ原の戦いを主軸に描かれているが、徳川家康や石田光成といった主要なキャラ以外は関ヶ原そっちのけで、各々の思惑に沿って戦いに参戦する。関ヶ原が舞台である必要性も感じない。

 また、B3のストーリーでは専用の装備アイテムや仲間になる副将をゲットできたりするのだが、これらを集めようとすると必然的に周回プレイが必要になる。つまり、1周するだけでもうんざりするくらい面白くないストーリーを周回プレイしないとコンプできないやりこみ要素なのだ。これは苦行以外の何物でもない。

 ストーリーがそんな出来なので、公式サイトでも紹介されているB3の登場キャラには納得のいかないものになってしまっている。前田利家や上杉謙信は操作することができないうえに、武田信玄や豊臣秀吉はストーリーの都合上ムービーのみの出演。鶴姫やお市などの関ヶ原に無縁なキャラが出ているのだから、もう関ヶ原にこだわらずにキャラを増やしても良かったはず。ストーリーも既存のものを半分に減らし、残りの半分をそうしたキャラのものに充てれば充分なストーリーとボリュームが出来上がる。


 いろいろと悪いところが目立つ今作ではあるが、改善すればそれなりに良くなる作品ではあった。だが、その改善点に着手しないまま発売に踏み切ったカプコンの姿勢と判断には正直ガッカリせざるを得ない。この痛手はかなり大きい。もう今後、私が戦国BASARAシリーズをやることはないだろう。


ここ最近読書しなくなった

 ここ最近本を読もうという気が起きません。読めないことはないのですが、以前に比べてあまり読まなくなりました。

 私自身、(ブログで紹介していない本を含めて)もう100冊以上は読みました。そのこともあってか、「もうそろそろ読書もいいかな…」と思うようになりました。ホリエモンや橘玲さんらの本を読んでいると、「それ前にどこかで聞いたな」と思う箇所が多くなり、新鮮味がなくなってきました。

 加えて、読書の集中力も減ってきました。元々私の読書は、電車の中や待ち合わせの合間などのどこかへ出かけた時のお供として読んでいるのですが、自宅だと読書以外のことをしたくなって、集中してあまり読めません。

 最近読んだ本では、『フルサトをつくる』がものすごく集中して読める本でしたが、それ以外の本では読んでも「ふーん…」という感じでした。

 とはいえ、読書自体が嫌いになったわけではないので、時間がかかろうとも気にせずに、気が向いた時にでもスッと読めればと思います。


ベーシックインカムで一億総消費者社会になる(2)

前回の記事はこちら


 一億総消費者社会では、「生産者がいない消費者だらけの社会」と思われてしまいそうだが、決してそうではない。人々が社会で生きる上で、「生産者として生きる割合を減らし、消費者として生きる割合を増やす」ということを述べているのだ。完璧に生産者という立場を降りるのではなく、あくまで生きる上での生産者という立場の割合を減らすことに意義がある。もちろん、生産者と言う立場だけで生きてもいいし、消費者という立場だけで生きてもいい。

 消費者として生きる割合を増やすということは、生産物を享受できる可能性が大きく拡がることを意味する。

 具体的にいうならば、飲食店で廃棄されるはずだった食品が廃棄されることなく、より多くの人々に消費してもらうことが可能になるということだ。激化した競争も、BIによって経済的な生活苦から解放され、やむを得なく生産活動に従事していた者はそこから(度合いは個人によるが)降りることができる。飽和した生産活動が減ることで、これまで供給多寡だった現在の経済情勢が緩和され、適度な供給に落ち着く。過酷な労働によってうつ病などの疾患に悩まされている人々は、もう生産者として無理な労働をしなくても良くなるのだ。

 BIはあくまで最低限の社会保障金額に留まるため、BIだけでは豪勢な消費は不可能。もっと消費を楽しみたい人は生産活動に従事するであろうし、そこまで消費に固執しない人はBIを足したほどほどの労働給金で満足するだろう。

 ここまで書くと「生産者がいなくなるのではないか?」という疑問を抱く方もいると思うが、これはほぼ問題ないと考えられる。というのも、以前こちらの記事で、大金持ちでありながら質素な生活を送るチャック・フィニー氏の事例を考えれば分かりやすい。フィニー氏に限らず、彼らのように莫大な財産を築きあげるほどの生産者というのは、生産活動に従事すること自体に楽しみや意義を抱いており、消費に対してはそれほど固執していないことが多い。ホリエモンこと堀江貴文さんが、度々自身の著書でそれほど高額な浪費を楽しんでいないことを語っていることからも明らかである。

 つまりBIを導入しても、消費者として生きるよりも生産者として生きることを選ぶ人(消費者よりも生産者として生きる割合を増やしたい人)は必ず出てくるということだ。私が以前お世話になったNPO共育学舎も、(言い方は悪いが)あまり儲けにはならないプロジェクトをいろいろとやっている。だが、こうしたプロジェクトというのは儲け以上のリターンがあるからやっているのである。生産者・生産活動そのものがなくならないのは、これらと同じ原理である。

 BI導入後に生産者として従事する人間がどれくらいになるのかは、実際に導入してみなければ分からない。しかし、消費者が増えるということは、生産者が受けることができる恩恵の確率も増えることを意味している。消費者にとっても、生産者にとっても、これほど恩恵の高い社会構造はうれしいものである。

 「消費者が多くなると、生産者の立場が弱まってしまうのではないか?」という不安視する声もある。だが、これは大きな誤りだ。現在「お客様は神様だ!」と言わんばかりの王様気分に浸る消費者がいるが、これは供給多寡による生産者・生産活動の飽和状態による生産者側の立場が弱まっていることが一因としてあるからだ。生産者が減り、消費者が増えれば、需要と供給のバランスが改善され、双方対等な経済活動が可能になる。どちらが偉いということもないし、どちらが卑下する必要もない。「何かしらの生産物を享受し、その対価を払う」という原始的で分かりやすい経済のサイクルが復活できるのだ。


 現在アベノミクスで景気回復が期待されているのが、その一方で人手不足による企業の倒産など、単純な景気回復や経済成長だけでは解決できない問題も起きている。もはや、そうした幻想で社会の立て直しを図ることを辞めるべきだ。「本当の自由とは何か?」「本当の平等は何か?」といった人類が生きる上で根本的な課題や問題をしっかりと直視するような解決策を図るべきである。そうしたことができるのが、自由と平等という2つの要素を兼ね備えたBIなのだ。

 私たちは、今こそこのパンドラの箱を開けて、希望を見出す時である。ベーシックインカムは空想無き現代社会に残された、希望の光なのである。