「お金のいらない世界」は実現できない(2)

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 「お金のいらない世界」はなぜ実現できないのか。このことに答える前に、お金の機能について話しておく必要がある。お金の機能の一つに「ものとものを交換する際に仲介する」機能がある。これを経済学的には「交換機能」という。これはどういう機能かというと、論理的に説明するよりも、まずは下記のストーリーを見てみると分かる。

 山に住むAさんは、シカやイノシシを獲って生活していた。食べ物はもちろん肉である。そんな彼はある日、「魚が食べたい」と思い、山を下りて、魚を獲って生活しているBさんを尋ねることにした。

 Aさんに会ったBさんも「肉を食べたい」と思っていたので、お互いの持っていたものを出し合って、物々交換した。お互いに欲しいものが手に入ったので、Aさんは満足して山へ帰ったとさ。


 上記のストーリーでは、お金を介さない物々交換でお互いに欲しいものを手に入れている。皆さんも経験したことがあると思うが、物々交換はお互いの欲しいものを差し出しあって、それが欲しいものとして一致すれば、交渉(交換)成立となる。

 ところで、ストーリーはここで「めでたしめでたし」という単純な話ではない。この物々交換はお互いに欲しいものが一致しないと、手に入らない。では下記のようなストーリーはどうか。

 Aさんはまた「魚を食べたい」と思い、山を下りてBさんに会いに行ったが、Bさんはその頃「米を食べたい」と思っていた。そのせいで、AさんはBさんから魚を得ることができず、他の人に尋ねることにした。

 他の人に「魚と肉を交換してもらえないか」と尋ね回ったAさんだが、皆肉以外のものを欲しがっていたので、魚を手に入れることはできなかった。結局Aさんはあきらめて山へ帰り、仕方なく肉を食べることにした。

 米を欲しがっているBさんは、湿地の近くで稲作を営んでいるCさんを尋ねた。しかし、Cさんは「木の実が欲しい」と思っていたので、Bさんは米を手に入れることができなかった。彼も他の人に米と魚を交換してもらえないか尋ね回ったが、皆魚以外のものを欲しがっていたので、米を手に入れることはできなかった。結局Bさんもあきらめて帰ることにしたとさ。


 物々交換では、お互いの欲しいものが自分の差し出すものと一致しない限り、この相手探しは終わらない(大抵はあきらめる)。これではAさんもBさんも、欲しいものを持っている相手が見つかるのか、わからない。

 このものとものとの交換をより円滑するためにできたのが「お金(貨幣)」の誕生である。肉や魚では、交換相手によって欲しいものが決まってしまっているが、お金は万物共通でほとんどのものと交換できる。これほどものとものとの交換がスムーズにできるものはない。

 それに対して「そんなに欲しいなら、相手のものを奪ってしまえばいいじゃないか?」という乱暴なことを言う人もいるかもしれないが、これは不快極まりない。といっても、道徳や倫理に反するという意味ではない。

 Aさんの肉も、Bさんの魚も、Cさんの魚も、各々が持っている貴重な時間や労力を割いて得たものだ。彼らが貴重な時間や労力を割いて得た対価なのだ。物々交換では、自分たちが得た対価に対して、それに見合った別の対価を要求するのは当然だ。

 自分たちの対価を何の理由もなしに、奪われてしまうのは屈辱以外の何物でもでない。こんなことをしたら、個人間では取っ組み合い(ケンカ)。国家間では戦争になるだろう。(お金持ちが「自分たちが稼いだお金は努力の賜物だ」と認識し、国家が強制的に課す税金を嫌うのもこのためだ)


 話を最初の方に戻すと、のび太くんが「お金のいらない世界」を実現できなかった理由はここにある。お金そのものがなくても、他人から何かを得る時、何かしらの対価を払わないと相手は応じてくれないからだ。

 のび太くんがおもちゃ屋さんでプラモデルをもらいに行っても、店主は彼に対して何かしらの対価を交換してくれないと、プラモデルを差し出そうとしないだろう。のび太くんがそれに腹を立てて、プラモデルをかっぱらったとすると、店主は「あんなクソガキ信用できん!」と腹を立てて、のび太くんが店へ来るたびに追い払うだろう。


 万物共通でほとんどのものと交換できる機能があるお金。これほど便利なものは、例えドラえもんの秘密道具を使ったとしても存在を消すことはできないのだ。仮に「お金のいらない世界」が本当に実現できても、長続きはしないだろう。それは心の優しいのび太くんですら気が狂うほどの狂気の世界なのだから。


<参考>
Wikipedia「貨幣」


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