「責任」に関するお話

 東日本大震災の救援や福島原発の対応をめぐって、政府に対して様々な責任が求められています。今回は「責任」の基本的な概念について、わかりやすく解説していこうと思います。
 ここでいう「責任」とは、政府や社会に求められる大がかりな責任ではなく、個人間で求められる基本的な責任について述べています。

1.責任とはそもそも何?

 責任の意味について辞書を引いてみると、以下のような意味が出てきます。

  1.引きうけてやりとおさなければならない事がら。
  2.自分がやった事がらの悪い結果を引きうけなければならないこと。

 1は引きうけたことによってそれを遂行する義務、2は生じてしまった悪い結果の処理についてそれぞれ書かれています。これらの意味に注目して欲しい所はどちらも「自分がやった(引きうけた)事がら」から生じているということ。つまり、自主性のある所に責任が生じるということです。自主的に行う活動に遂行義務・結果処理を負うこと、これが責任です。
この理論でいうと無責任とは「自主的に行っている活動にも関わらず、遂行する義務を果たさない。または生じた結果の処理負わない」ということになります。

2.責任と自由

 先ほどの責任の概念で「自主的に」という言葉が出てきました。自主的に行うということは、本人の自由にできるということです。
 自由という概念についてあらかじめ解説しておくと、近代社会以降の自由は「他からの束縛や強制を受けることなく、自ら責任を持って行うこと」という意味で括られています。ここで「自らの責任」とあるように、自由と責任という概念は表裏一体のものなのです。責任を問われない絶対的自由はありません(そんなことになったら、世界は犯罪だらけです)。自由ということは、自主性が問われているわけですから責任は絶対ついてくるのです。
 2004年に発生したイラク日本人人質事件では、自己責任という概念が議論されました(事件の概要はここでは割愛)。この事件は「イラクにてテロリストの人質となった被害者らは、政府の警告通達を無視してまでイラクに赴いたのだから、自己責任で処理すべきだ」と議論されました。自己責任が問われたのは「警告通達を無視してまで、本人達は危険を承知で行ったんだから、我々が救援に動き出すはどうか」という考え方からでした。被害者らが通告を無視してまでイラクへ赴いた自主性から、責任論にまで達したのです。
 あと権限に関する理論も、責任と自由の考え方に深く結び付いています(権限の意味については、基本的に法律に関する観点からの意味が用いられることが多いですが、ここでは「他人のことについて干渉できる範囲の力」の意味で用います)。権限があるということは他者に対して、自由に指令できる力があるということ。その分責任も指令者にあるわけです。よく汚職事件を題材にしたドラマなどで、身分の低い人間に問題の責任を負わそうとしたりする権力者がいますが、これは権力と責任の関係でいったら理論的には成り立たないことなのです。

3.無責任になる人々

 私の大学でとある委員会の仕事を自ら立候補した女子学生がいました。彼女は自分からやり出した仕事に対して「成績がつくわけでもないのに、何でこんなことしなきゃいけないの!」と文句ばかり言っていました。委員会の仕事自体は別段ハードなわけでもなく、普通に誰にでもやり遂げられる仕事でした。それを見た大学の先生は「あいつには社会的責任がないんだ」とひどく嘆きました。彼女が無責任になってしまったのは、もちろん仕事をしっかりやり遂げる責任がないからです。
自分のやること(仕事)と責任の関係は、見るべき所を誤ると、とんでもないことになってしまいます。今回最も注目してもらいたい所は、彼女が言った「成績がつくわけでものないのに」の箇所。彼女は仕事に対して何らかの報酬を欲しがっていました。ここからは責任と報酬の関係について、お話しましょう。
 タダ働きが好きな人はいないと思います。字のごとく、働いても何も報酬が得られないからです。先ほどの彼女にとって、委員会の仕事は単なるタダ働きでしかなかったのでしょう。しかし、タダ働きであろうと仕事に対する責任は絶対についてきます。自主的に行うのですから、仕事に報酬があろうとなかろうと、責任は生じてしまいます。
 ただ残念なことに、世の中は先ほどの彼女のように仕事を達成する義務を責任のためではなく、報酬の為に働いています。私たちは報酬をもらえることで仕事に対する責任や熱意が湧いてくるのも事実ですが、何らかの報酬がないと働かないというのは、実は悲惨なことです。とある心理学の調査で「どんなに好きでやっていたことも、報酬に味をしめてしまうと、好きなことを熱心にやらなくなってしまう」という調査結果が出ています。報酬がないと働かないというのは、熱心にやらないことに始まり、やっていることの責任さえも失わせてしまうのです。仕事の責任というのは「報酬をもらうのだから」ではなく、「自分が引きうけたことだから」に生じるのです。
 先ほどの彼女は報酬がないということだけで、委員会の仕事を投げていました。彼女は報酬がない限り、これからは何もしないでしょう。

 責任に関する問題は様々な局面で出現し、問われています。組織としても個人としても、責任の在り方・考え方は今後も絶え間なく、社会で問われていくことになるでしょう。


<参考サイト>
Wikipedia「責任」

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