自由は「永続」しなければ意味がない(1)

 私は「自由を入れるにはどうすればよいか?」と考える際に、よく頭の中でハッキリと思い浮かべることがある。それは「自由は永続的なものでないと意味がない」ということ。


 私たちが生きる社会では、一応簡単に自由を手に入れることができる。典型的な事例は、今ある会社や学校を辞めることだろう。仕事や学校でイライラしたり、泣きたくなるほどウンザリするのはものすごくつらい。組織や社会の束縛から、解放されればどんなに幸せだろう。

 しかし、上記の事例は、自由を手に入れたとしても、それはほんの一時的なものに過ぎない。組織や社会の中で生きることは束縛も多いが、同時に恩恵もある。食べ物、衣服、寝床、インフラ、アイデンティティ、そしてお金。組織や社会では、分業によってさまざまなものが生産される。組織や社会に属している間はその生産物を私たちは享受できるのだ。組織や社会から離れることは、それらの生産物を享受できないことを意味する。

 過酷な飢餓と隣合わせだった太古の人々は、ムラ社会から追放されることは即座に死を意味することでもあったのだ。映画『イントゥ・ザ・ワイルド』のクリストファー・マッカンドレスさん(以下:クリス)は、アラスカの荒野で究極の自由を手に入れた。しかし、それと同時に自由の負の側面である孤独や飢餓に悩まされ、最後は息を引き取ってしまった。

 私たち先進諸国の人々は分業(文明・科学技術)の発達によって飽食の時代を迎えたが、組織や社会を離れることを未だに恐れている。私自身「今の収入が亡くなったら、どう生きよう…」とネガティブになる。クリスのように荒野に出なくても、都会の中でひっそりと住むホームレスは、幸福度がアフリカに住む原始民族よりも低く、他の人々よりも最も低いという。なにも無い大自然よりも、食べものや人で飽和した都会の中で、孤独と飢餓にさいなまれるのは最悪の人生であることは間違いない。

 だからこそ、自由は永続的なものではないと意味がない。一時的な自由では、結局孤独や飢餓などの不安にさいなまれては、せっかくの自由も消えてしまう。概念どころか自由を手に入れた時の高揚感も失せてしまう。


 では「永続的な自由」とは、具体的にどのようなものか? 次回の記事で、それを明確にしていく。


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