退職願を提出しました

 前回の記事で「自分の行動をレポートしていきたい」と書いたので、さっそくレポートします。


 昨日は外注先から本社へ向かい、退職願を提出してきました

 本当は昨日のお昼に本社から私直属の上司が外注先の最寄り駅まで来て、そこで待ち合わせし、退職願を渡す予定でしたが、担当業務でトラブルが発生! 仕方なく、急きょ電話してドタキャン。上司からは「本社に直接届けてくれ」と言われ、届けることに。

 「人が退職願出すっていうのに、こんな簡単に済ましていいのか?」と疑いたくなるぐらい、上司の対応があっさりしていた。「本社に誰もいなかったら、会社のポストにでも入れといて」とも言われる始末。結局私はその程度の人間だったということの表れなのか…。

 そうは言われても、こちとら精神疾患持ちなのだから、国民健康保険や国民年金の手続きで会社から所定の書類一式をもらわないと辞められない。書類一式のことで質問・相談するためにも、外注先を6時に退社。今週は仕事量が半端なく、水曜日には24時を過ぎる頃に帰宅できたなどの多忙の毎日でしたが、昨日の仕事量はこれまでに比べて少なかったので、私がいなくても仕事は充分回せるでしょう(そもそも仕事のポカが多い私なんて、いてもいなくても変わらないのだから、退社あるのみ)。


 夜7時ごろに本社に着くと直属の上司含め、ほとんどの方は帰宅。以前私が勤めていた部署のかつての上司が出迎えてくれました。私はさっそく退職願のことを話し、かつての上司が代理で受理するということで、退職願は無事受理されました。

 会社側に渡すものは退職願の他、自分が使用している社員証・名刺・健康保険証(会社から支給されたもの)の3つ。後者の3つは返却という形になります。

 私が退職するということで、かつての上司は少々残念そうに、そしてしみじみと、これまでの会社生活を語っていました。ある程度話がついたところで、私はさっそく役所の手続きで必要な書類一式がどんなのものなか質問・相談。

 上司の話によると、書類一式は郵送で送るとのこと。その際、年金手帳など会社に預けていたものも返してくれるとのこと。届くまでにおよそ2週間ほどかかるといいます。2週間もかかるのか…。会社側も申請やらなんやらでいろいろと手間がかかるのでしょう。その分、私の役所手続きも滞るわけですが…。

 「今後役所の手続きで、会社で発行してもらう必要な書類が出た場合はどう受け取ればいいのか?」と質問。上司の話では、その場合も郵送でこちらに送るとのこと。会社へ直々に取りに行くということは、よほどのことが無い限りないと言います。


 退職の受理が完了し、上司やかつての職場の方(といっても計2人しかいませんでしたが)別れのあいさつをし、本社を後にし家路を急いでいると、とてつもなく重々しい不安や恐怖が私の心にのしかかりました。私は転職もあても無く、無一文になってしまった身。ここにきて、集団や組織の中(世俗)を離れたことによる恐ろしさを体感しました。

 「人は一人では生きていけない」

 私はいまの自分の境遇で、上記の言葉の意味を改めて痛感しました。

 橘玲さんの本に書いてありましたが、人類は生きる上で遭遇する恐怖や不安を少しでも改善するために、群れて行動し、分業を発達させることで、発達した科学技術や生活の安全・安心を享受してきました。私はまさにその人類が成してきた功績から脱落し、無一文の世界に入り込んだのです。そこには生活の安全・安心はおろかアイデンティティすら無い状態。群れを追いだされた社会性動物のようなちっぽけ存在です。

 ごくごく当たり前の理論ではありますが、実際に体感してみると、文明社会や世俗の中で生きることの難しさ・生きづらさ・過酷さというのが身にしみます。

 とはいえ、私は世俗に戻れませんし、戻ろうとも思いません。ましてや、世俗に強い疑問を持ち、いつか世俗のしがらみや問題から解放されて自由に生きたいと考えています。自宅に帰って、お気に入りの本を読み返すと、重々しい不安や恐怖がやわらいできました。


 それと帰りながら、会社でいろいろとお世話になってもらった年上の方とメールしていました。悩みを聴いてもらったり、アドバイスをもらったり、退職したことに対する励ましの言葉をもらったりで感動しました。なんだかんだで、生きて残っている私。いろんなことを励みに、自分の人生を自由に進んでいきたい。



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