お金持ちのイメージは消費(浪費)・所有ができること

 つい最近、ネット上で興味深い記事を見つけた。記事はこちらにあるが、一応当ブログで全文を引用しておく。

【世界最貧の億万長者、75億ドルの資産を持ちながら15ドルの腕時計をはめる、その訳は】
81歳のチャック・フィニー氏は15ドルのデジタル腕時計をはめ、よれよれのシャツを着ている。Duty Freeの創設者であり、75億ドルの資産をもつ大富豪であるにもかかわらず、である。車ももたない。移動はエコノミー・クラス。アパート暮らし。大衆食堂を好み、移動は地下鉄かタクシー。

 一円を惜しむけちん坊と彼を呼ぶことも出来るだろう。しかしこれを聞いてもまだそう言うだろうか。彼はここ30年の間に、慈善事業に60億円を投じているのである。あるいは教育に、あるいは保健事業に、また学術振興に、米国、豪州、ベトナム、南アフリカ、アイルランド、バーミューダー島における高齢者の福利厚生に。こうした活動は今後も続けるとのことで、2016年までに残りの全ての資産を使い切るとのことだ。
 世界の隅々のお金を必要としているところに向けて流れ出ていく「総水量」数十億ドルという流れの源にひとり立つ彼は、またひっそりと立つ。30年にわたる慈善活動のうち、最初の15年は「成功裏に」事を成し遂げることが出来ていた。誰も、その慈善活動を知るものがなかったのである。のち、徐々に存在が知られるようになってしまった。しかしその後も、本人は謙虚を貫いた。2012年までに彼が受けたインタビューは通算5本。
 ゼロから事業を始めたフィニー氏だが、数年で頭角を現し、自社は27ヶ国に200人のスタッフを抱えるまでになった。「私は確信するに至った。お金をひとに与えて、それのお陰でそこから何かが生まれていくさまを目にする事のほうが、はるかに満足が大きいのだ、と(たとえば、病院)。これは合理的なことなのだ。善行にお金を積むことだ、銀行預金が増えかつ増えていくのを見ることよりも」。
 ビル・ゲイツ氏はチャック氏を「鑑」と仰ぐ。生きたまま善を創造する、ということをどのようにしなければならないかということの、最良の見本である、と。



 Duty Freeといえば、免税店(関税がかからない)でおなじみの小売店。チャック・フィニー氏はそのビジネスを成功させ、75億ドルもの巨額な資産を持つ大富豪。にも関わらず、生活が驚くほど質素であると書かれたのが今回の記事。

 読んだ人の中には「そんだけのカネがあるくせに、なんでもっと贅沢しないんだ?」「そんなにカネ使わないなら、俺ら庶民によこせ!」と思われた方もいただろう。

 記事を読んだ感想はさておき、なぜフィニー氏は上記のような質素な生活を送るのか? 75億ドルという大金は1人で一生涯使いきるのも難しい額だ。それぐらいの大金を手に入れたのに、シャツ1着すら新しいものを新調しない。「贅沢をしない」という氏の個人的な信条や考え方もあるだろうし、元々贅沢を好まない性格なのかもしれない。

 だが、上記の氏の個人的な要素以外に、もっと確実な理由がある。その答えはさまざまな著書に書かれているが、どれも共通しているのは「収入が増えても、支出を増やさない」ということだ。これはロバート・キヨサキさんのベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』や橘玲さんのベストセラー『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』でも、同様のことが書かれている。

 多くの人は、金持ちというイメージについて、「好きなだけ消費(浪費)ができる」、それに加えて「良いものを自分で所有している」というイメージを持っている。身につけている衣服やアクセサリーは最新のブランド物で、車は高級車。住まいは大豪邸で、毎日気品のある料理店で高級料理に舌鼓を打つ。多くの人は、ハリウッドなどで活躍するセレブリティのような生活をイメージするだろう。

 しかし、本当の金持ちというのは、こうした「好きなだけ消費(浪費)ができる」とは限らない。大抵はフィニー氏のような金持ちというのが、巷では多いだろう。「住まいや身なりは裕福に見えないのに、資産を見るとかなりの額がある!」という人々だ。

 どんなに高額の資産を稼ぎ出しても、それを使わない生活を送れば、当たり前だが資産は確実に増える。月々の収入の額と支出の額が同じでは、資産が増えないので、事業の倒産や失業などの憂き目に遭った際、破産するのは目に見えている。「好きなだけ消費(浪費)ができる」というイメージだけで、金持ちと言えるわけではないのだ。我々が持つ金持ちのイメージが、いかに強く固定されているのかを思い知らされる。過去にこちらの記事で書いた「勝ち組」についても、同じことが言えるだろう。


 「好きなだけ消費(浪費)ができる」というのは誰もが魅力を感じることだし、それを悪いこととして全否定するつもりもない。ただし、そうしたことができるほどの大金を得るということは、それだけのリスクを背負っていることの代償として得ている大金であるということを私たちは忘れるべきではない。

 そうしたリスクを背負った代償として得ることができた大金だと知ったその重みから、「好きなだけ消費(浪費)ができる」というイメージは消えてなくなる。フィニー氏を含めた多くのお金持ちが、あまり浪費に走らないのはこの認識によるものではないか、と個人的に考えている。


<参考文献>
ロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』
橘玲『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』


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コメント

No title

 何巻だったか忘れましたが、昔のこち亀でも似たようなお話があったのを思い出しました。

 うろ覚えですが、白鳥という典型的ボンボンと中川のどちらが真の金持ちか言い争う、という話で、結論が、
・本物の金持ちほど生活は質素(=中川)
・光り物やブランド物に夢中なのは金持ちの初級(=白鳥)
 というもので、子供心になるほどなぁ~、と思ったものです。そして、それは間違っていなかった、と。

 今回のお題も、好きなだけ消費することを決して否定されていないので、楽しく読ませて頂きました。では、また。

No title

>>kaminaribozeさん
コメントありがとうございます。

>白鳥という典型的ボンボンと中川のどちらが真の金持ちか言い争う
なんと、『こち亀』でも同じことが書かれていたとは!
漫画でも、お金持ちは『ドラえもん』の骨川スネ夫や『ちびまる子ちゃん』の花輪くんのようなキャラが多いですもんね。
それを取り上げる『こち亀』はやっぱり奥が深い!

No title

ちょっと話はズレるかもしれませんが、ちきりんさんがこれからは「所有しないこと」が贅沢になるってブログ書いてましたねー。

No title

>>ばなしーさん
コメントありがとうございます。

>これからは「所有しないこと」が贅沢になる
検索したら、ちきりんさんが「“所有”という時代遅れ」という記事を書いていましたね↓
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100622

近年はモノのデジタル化やレンタル化が進んだおかげで、自分でいちいちものを所有しなくてもいい時代になりましたよね。
おまけにこれらの事象は、必要な時や分だけ低価格で使えるわけですから、普及するのはなおさらですな。
「所有」にこだわっていた時代を懐かしむ時代が、本当に来るのかもしれない。
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