私が絶対に子供を望まない理由

 今年で私は25歳になった。この年齢になると、友人や知人との会話で結婚や出産の話が出てくる。結婚については、私自身まだ相手がいないので何とも言いようがないのだが、出産についてはいつも思うことがある。

 私は絶対に子供を欲しいと思わない。私事ではあるが、今回の記事はそのことについていろいろ書いてみる。


 「子供なんか欲しくない」と言うと、「子供が嫌いなの?」と思われた方もいるだろう。別に好き嫌いうんぬん以前に、子供という概念にそもそも興味がない。

 なぜ興味がないのか。それは単純に、自分という人間の遺伝子を後世に残したいと思わないからだ。そう思うと、子供という概念自体に端から興味がなくなる。子供を望む理由は人それぞれだろうが、私の場合遺伝や遺伝子という観点から考えて、子供を望まない。

 人間を含め、生物が子供を産むのは、自分が属している種の存続を図るためだ。これは学校の理科の授業で、多くの人が学んだことだろう。大型の海水魚であるマンボウは2万個もの卵を産む。繁殖力が強いネズミ科の動物も、「ネズミ算」という言葉通りに多くの子供を産む。いずれの生物も自分が属している種の存続をかけて、本能に従い、子供を産むのである。

 人間の場合は、単に子供を残すだけでなく、「自分自身の遺伝子を残す」という意味合いが強くなってくる。

 「子供が欲しい」と言った場合、大抵の人は自分の遺伝子を残した子供を欲しがる。子供そのものが欲しいだけなら、児童相談所(孤児院)から孤児を引き取るという選択肢もあるのに、多くの人はそれをせずに自分の子供を産む。

 こうしたことをするのは、多くの人にとって自分の遺伝子を受け継いだ人間ではないと、子供を信用できないからだ。このことは歴史でも数多くの例がある。三国志などで自分の子供(一族の人間)から後継者を選びだされるのは、当人の遺伝子を受け継いだ人間ではないと、周囲からの容認も得られない場合もあるからだ。大奥などで、嫡子の出産が城内の人間にとって死活問題となるのは、このためである。

 こうした遺伝の話を持ち出すと、「遺伝なんか関係ない!」と思われた方もいるだろう。確かに近代以降は、封建社会にあった閉鎖的な風習や価値観から断ち切り、個々が持つ能力や社会的立場が重視されるようになった。「遺伝に関係なく、子供に愛情を注いでしっかり育てればいいじゃないと思う方もいるだろう。

 しかし、話はこれで終わらない。

 遺伝という話が出た際に、本当に自分と言う人間の遺伝子を残したいか、そこが問われてくる。

 私は自分という人間を見た時、後世に遺伝子を残したところで大した意味をなさないと考えてしまう。大した学歴や職歴もなく、容姿も優れているわけでもない。そんな惨めな人間の遺伝子を残したいと思ってもらえる相手もいないだろう。ましてやそんな人間から生まれる子供も、私と同じような惨めな人生を送ってしまう可能性が高い。

 橘玲さんの著書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』にて、遺伝が人生にどれだけ深い影響を及ぼすかについて、述べている。

 現在は、遺伝によって性格や身体能力に大きく影響されることが科学的に証明されている。これをそのまま受け入れると、「バカな親から生まれる子供はバカになる」「犯罪者の子供も、将来は犯罪者になる」といった暴論まで認めることになる。そこまでいかずに百歩譲ったとしても、「鳶が鷹を産む」ような、凡人の親から天才児が生まれることはない。

 多くの人にとって、このことは顔を真っ赤にしてでも断固否定したい事実であろう。自分の遺伝子が子供の遺伝子に大して良い影響をもたらさないのならば、自分の遺伝子は意味がないものとして否定されてしまうからだ。

 しかし、私達は知らないうちに遺伝の影響を認めている。

 学校の進路で文系・理系に進む際、「親が文系だったから、自分も文系に進む」としたとしても、周囲は白い目で見ずに納得する。「カエルの子はカエル」「親の七光り」という言葉もあるように、親(先代)が従事してきたことにその子供が従事しても、特別悪く言われるわけではない(政治の世界や歌舞伎などの伝統芸能の世界は、世襲が続いていることからも明らかだ)。

 なんだかんだ言って、遺伝の影響を知らぬ間に認めている以上、子供を望むか否かで遺伝の影響を見過ごすわけにはいかない。自分という遺伝子を見た時、本当にそれを後世にを残したいと思うのか。生まれてきた子供が自分の望むような子供にならなかったとしても、それを受け入れられるか。

 私は未読なのだが、近年出版されたエッセイ『母親辞めてもいいですか』にて、発達障害と診断された娘の育児に疲弊し、離婚して育児を放棄した著者の体験談が書かれている。著者は平凡な家族像に憧れていたが、娘の疾患でそれが叶わず、うつ病や浮気を起こし、新興宗教にものめりこみ、やがて離婚する。

 遺伝のリスクというは、発達障害などの疾患のリスクも含まれる。私はすでに精神疾患があるので、それが自分の子供に発症してしまったとしても、おかしくはない。上記の本は遺伝について書かれてわけではないが、そうした疾患のリスクもあることを物語っている。以前こちらの記事で、「子供は産まれた時代・場所・親を選べない」と書いた。遺伝のことも加えると、性格や病気も選べないということにもなるのだ。

 子供を望むのであれば、そうしたことをしっかりと考える必要がある。私には残念ながら、それはできそうにない。私が子供を産んだら、子供は私の遺伝子のことで怨むだろう。子供に「なんで産んだんだ!」と言われ、私は後悔するだろう。そうしたことが目に見えている。


 子供を望まない気持ちは今後も変わらないだろう。私という人間の遺伝子は後世に残らなくてもいい。後世に残すとしたら、遺伝子ではない何かの別の物事で残すつもりだ。


<参考文献>
橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』


スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する