「やらない後悔」より「やる後悔」

 数日前に仕事の休憩がてら、職場の同僚であるMさん(仮名)と雑談した。Mさんとは就農以来かなり親しくなり、お互いに現法人では言えないような事柄についても話せる間柄になった。そんな中で、

 Mさんは現法人に就農するまでさまざまな職業をしてきた方だ。彼は専門学校卒業後に理容師になるも考え方などの違いから退職。その後、清掃会社に就職するも、そこも退職。一時期お坊さん(僧侶)になるために縁あった寺で修行するが、考え方や自身の心境の変化から、それを断念。それから、農業をやりたいと感じて、現法人に就農。現在の職以外はどれも2~3年ほどの年数で転職している。

 その中でも、彼はお坊さんの修行はかなり良い生活だったと話しており、現在の自分の人生においてもかなり影響しているとのこと。Mさんは修行するに当たって、親ともいろいろ話し合ったという。それだけ本気だったとか。

 私は和歌山での生活経験をMさんに話しており、Mさん自身修行生活の経験もあってか、私の修行生活をポジティブに見てくれている。お互いに和歌山の生活と、お坊さんの修行生活は通じるところがあるそうだ。


 今回の雑談で、私はMさんにある相談を思い切って持ちかけた。それは、「和歌山(共育学舎)に行きたいが、親への説得はどうすれば良いのか?」というもの。

 私は現在の仕事の不調もあって、共育学舎に戻りたい気持ちがだんだん強まっている。戻りたい理由としては2つある。「現法人以外で引き続き農業をできる場所への移転」と「長期にわたる自分自身の人生の見つめ直し」を、共育学舎にて再度やりたいと考えているからだ。

 私は先月に解雇通告をされた。もし、それが帳消しになったとしても現法人は赤字経営で、結局はネガティブな情勢で変わらない。かといって、他の農業法人や研修制度を目指すには、自身の精神疾患の心配もある。そうしたことから、戻りたいという気持ちが出てきた。

 だが、私の親は共育学舎に戻ることを快く思っていない。どんな親もそうだろうが、子供には「社会(世俗)のレールに乗った安定的な生活を送ってくれる」ことを望んでいる。私の親も例外ではない。私は親と仲が悪いわけでもないし、親との交流や助けで世話になっている分、親の話にそっぽを向くことは難しく思う。だからこそ、共育学舎に戻ることには、納得とはいかなくとも、お互いに快い気持ちで行動を起こしたいと思っている。

 かかりつけのお医者さんからは、「お金の心配はあるだろうけど、いまのあなたの状態を見たら、和歌山の生活はあなたの健康を取り戻すのに十分な所だ」と仰っており、私が共育学舎に戻ることに大きく賛成している。長期で共育学舎に戻って、診察の無い期間が続いても問題ない、というくらいのお墨付きだ。お医者さんからの勧めもあるので、戻ることへに対しての不安はない。


 上記のことをMさんに伝えたうえで相談した。Mさんの答えとしては「親への説得する良い方法はない」ということだった。だが、「やらない後悔」より「やる後悔」として、私が共育学舎へ行くことに賛同してくれた。

 というのも、Mさん自身が自分のやりたいことをやっている人生を送っているとのこと。彼は「自分がやりたいことができず(やらず)に後悔してしまうよりかは、やりたことをやってしまった方がいい」と語ってくれた。「どうせいつかは死ぬのだから、やってしまった方がいい」とも。

 Mさんの返事を聴いて、私が「共育学舎へ行きたい!」という気持ちは確信に変わった。「会社や社会がどうではなく、自分はどうしたいのか?」ということをあらためて気づかせてくれた。Mさんの返事は私にとってそれだけ印象深く、衝撃的だった。私の相談に乗ってくれたMさんには、大変感謝している。


 来月初めの週末に、私はかかりつけのお医者さん(メンタルクリニック)の診察のために、実家に帰る予定だ。その診察では、私の親とお医者さんと私との三者面談になる予定だ。私の口からは共育学舎のことは信じてもらえそうにないので、お医者さんを交えたうえで話し合うことに決めた。

 診察時の話し合いで、共育学舎に行けることになるかどうかは、正直当日になってみないと分からない。だが、私はそれでも「共育学舎に行きたい!」という気持ちに変わりはない。嘘偽りもない。それに現法人の就農とて、私にはもはや手に負えない問題だ。

 だからこそ、私は「共育学舎へ行く」というカードを持って、それを実行に移したい。それは会社のためでも社会のためでもない。自分のためだからだ。


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