就労のハードルはもっと下げてもいい!

 私は2月に共育学舎を訪れた際に、新宮市議会議員である並河哲次さん(通称:てつじい)のポスティングのお手伝い(アルバイト)をしたことがある(詳しくはこちら)。

 アルバイトを終えた後、彼からお礼として、2000円をもらった。こうした金銭のやり取りを今までしたことがなかったので、最初はもらっていいのか戸惑ったが、ありがたく頂いた。

 このアルバイトを経験から、ふと思ったことがある。それは「(このアルバイトのように)就労のハードルをもっとさげても良いのではないか」ということだ。

 てつじいさんのアルバイトでは、信用ある仲間への一声で従事者が集まり、それをやった。そこには履歴書提出も面接もない。お互いの信用で成り立つシンプルな就労(労働)だった。

 自分がやりたくなこと・代わりにやってほしいことを別の誰かに頼むことでやらせたことが、労働の起源とされている。しかし、この考え方は労働の原理にあまりにも近づきすぎていて、現代社会の労働しいては就労そのものの問題を無視している。

 現在世界の先進諸国では、就労(労働)そのもののハードルが上がりつつある。これまで人の手で行われた労働も、機械やコンピュータにとって変わってしまった。人手が必要なサービス産業なども、人件費を安くするために外国人の採用でまかなってしまった。人手を増やそうにも過剰に保護されている解雇規制や最低賃金法によって、雇用主も人手を増やそうにも増やせない。

 本来こうした就労(労働)からあぶれてしまっても生活できるように「生活保護」などのセーフティネットがあるのだが、機能していないのは周知の通りだ。「就労(労働)を増やしたい」と、そうしたことを行政は未だに考えているのだろうが、無駄な公共事業などで意味のないハコモノを造るだけでは、労働を増やせたとは言えない。

 言いたいことは山ほどあるのだが、ここで一旦ストップして本題に戻ろう。就労のハードルを下げた方が良いと考えるのは、もちろんメリットがあるからだ。私が考えるそのメリットは2つある。

 まず、就労者にとっても、雇用主にとっても、就労のハードルが下がったとことで就労(雇用)の流動化が良くなるからだ。もちろんうまくいかなかったりして、お互い辞めてしまう場合もあるだろうが、その時はお互い別の仕事や就労者を探せばいい。就労の定着率は変化するかもしれないが、就きたい仕事に就ける可能性は大いに拡がる。

 次に、履歴書提出や面接などの煩わしい就労過程が省ける。履歴書提出や面接が必要なほど大掛かりな仕事なら、それらの過程はかえって必要だろう。しかし、就労のハードルが高いと、大して大掛かりでない仕事でも、そうした過程を踏まえないと募集できない。これでは、就労者にも雇用主もかなりの負担となる。そうした過程を省ければ、かなり就労のハードルは下がるだろう。


 以上が、私が考える就労のハードルを下げることのメリットである。

 細かく突き詰めれば、就労のハードルを下げることには、企業側の社会保障負担の軽減や解雇通告のしやすさなどもある。だが、これらはどちらかというとベーシックインカムなどのセーフティネットを充実させてからの話になる可能性があるので、今回は就労のハードルを下げることそのものだけを考えた。

 就労のハードルを下げるというのは、このご時世において、なかなか受け入れがたいことではある。しかし、どんな物事でもハードルを下げることで参加できる個人が増え、それによって物事がより活発に改善される可能性は大いにある。今一度現代社会には、こうしたハードル下げを考える転換期となっていることを忘れてはならない。


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