これからのコミュニティ形成に求めるもの

 私は以前、「ギーク村」という一つのコミュニティ形成の構想について書いた。今回はコミュニティ形成そのものについて、私なりに考えていることを書いていく。

 以前書いたギーク村では、「お互いに価値観や考え方が似ている人や共有する人同士が集まって、共同生活する」という場所として、単に生活するだけでなく、村内でお互いにお金のやり取りもするというものであった。

 ギーク村の構想自体は友人が話してくれたもので、私が発案したものではない。だが、こうしたコミュニティ形成には、私自身大変興味がある。というのも、個人的にこうしたコミュニティ形成について求めていることがある。

 それは「人的セーフティネットの機能を持つ」ということ。

 ここで言う人的セーフティネットとは、「国家に頼らずともコミュニティでの相互関係を通して、個人へのセーフティネットを充実させる」というもの。

 以前、大阪府に住んでいた親子の餓死事件についての記事でも書いたのだが、これは金銭的・制度的な面のセーフティネットだけでなく、精神的な面でのセーフティネットを構築することで、お互いを助け合いながら生活していくことができる。

 セーフティネットは本来国家によって築いてあるはずなのだが、日本の生活保護はうまく機能しておらず、救うべき人々を救っていない。セーフティネットとしての機能すらしていないのが現状だ。ここまできたら、ベーシックインカムなどの他のセーフティネットを導入して解決すべきなのだが、反発が多いばかりか、解決に向けた行動すらしていない。

 国家に頼らずとも、自分たちでセーフティネットを築く。それを実現させるのが、この人的セーフティネットなのだ。

 では具体的にどのようなセーフティネットなのか?

 いろいろ考えられること・思うことはあるのが、一言で言うならば「就職しなくても生きていける」というもの。つまり、社会(俗世)へ無理に出なくても、コミュニティに入れば(贅沢をしない範囲での)必要最低限の生活ができる機能だ。

 私たちの周りにあるニート・フリーター・ひきこもりなどの社会的弱者を支援する機関や組織というのは、どれも人々を社会へ戻そうとする(就職させようとする)活動ばかり。私はだいぶこのことに大きな疑問を感じていた。「社会的弱者の多くは、社会へ出ること・戻ることで苦しんだり悩んだりするのに、それでも彼らを社会に出させようとするのは解決にならないのではないか?」と。

 特に就職は、新卒採用を含めて今後もあまり良くならないと予想される。アベノミクスへの期待などから「就職へのチャンスが拡がる!」という意見もあるかもしれないが、それもまたいつ限界が来るか分からない。そうした状況にも関わらず、「就職できないのはお前が悪い!」「甘えているから、いつまでも就職できないんだ!」と、当事者を批判するのは、はっきり言って下劣極まりないことである。

 ひきこもり名人である勝山実さんは、自身の著書『安心ひきこもりライフ』で、そうした就労支援は「ひきこもりではなく、就労支援を支援している」として、強く批判している。当事者に何の恩恵もないのならば、なんの意味もないのだ。どんな活動も最終的に就職ばかりにしか結びついてないとしたら、個人の選択肢は大きく狭まってしまう。

 私自身、社会に馴染めない人間であるので、「無理して社会に戻らずとも、自分たちでコミュニティを形成して、生きていける方法はないか?」と強く考えていた。その考えの根底にあるのが、先ほどの「就職しなくても生きていける」というものだ。

 これまでの社会は「就職をしないと生きて生いけない」とされてきた。しかし、就職をしても何かしらの問題が生じてしまう以上、もはや就職を目標に弱者救済を掲げるのは、無理がある。

 そこで、弱者同士によるコミュニティの形成とそこへの入居によって、安心して生活できる場ができる。「就職なんかしなくても、ここでなら自分でも生きていける」。今我々に必要なのは、コミュニティの形成によって、既存の社会に左右されない新しい自由を手に入れることである。


 ギーク村の構想を話してくれた友人には、まだ上記の考えを話していない。いずれ話す機会があったら、このことをぜひ話して、返答を聴きたいと思う。


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