腐っているか否か…

 「共育学舎へいつ・どのくらい行くか?」という記事を書いた際に、当ブログによくコメントをあむさんからコメントをいただきました。そのコメントの内容が大変興味深かったので、今回はそのことについて取り上げていこうと思います。

 まずは本題のコメントから↓。

毎度思いますが、「腐らない」のがきみのいいところだね。
「へっ、働くなんてくだらねー。どうでもいいや。ニート万歳!」
なんて言わずに、何かを求め続けてるのが素晴らしい。



 このコメントをいただいた際、半分は嬉しく感じましたが、半分は後ろめたく感じました。その気持ちを感じてしまうのは、「腐らない」という部分。

 私はこのブログを通していろいろなことを書いていますが、自分の将来のことややりたいことは実現できなかったり、内容が不明朗だったりと、まだまだ未熟なところが多いです。そんな私が今腐っているか否かというと、残念ながらNOとは言い切れません

 去年農業法人を辞めて以来、最近は共育学舎のこと以外は完膚無きまで(と言ってもいいぐらい)に無気力な状態が続いています(さすがにコメントにあるような労働を卑下したり、「ニート万歳!」とか言ったりするつもりは毛頭ないですが)。具体的に言うと、毎日昼ごろに起きて、ネットかゲームをする毎日。仕事辞めて以来、朝は本当に起きれません。最初にニートになった頃も同じでした。傍から見れば「腐っている」と思われるでしょう。

 かといって働きたいか否かというと、これは断然にNOと言えます。それ以前に、もう社会に出る気力もないのです。収入の面などの不安はあるものの、かといって私が働くのは、これ以上ないくらい自殺行為に近いぐらい阿鼻叫喚の地獄の日々です。大げさに聞こえるかもしれませんが、2度も退職してしまった私には「2度あることは3度ある」という言葉通り、元のレールにもう戻れるとは思えません。

 親は最初のニートの頃と違い、今回は精神疾患のことや農業法人の赤字経営の不透明さから、大目に見てもらえていますが、それでも「できれば正社員になってほしい」とまなざしは否めません。さすがに今の生活も長期的に見て、良いとはとても思えません。

 そうした日々の中で、私にとって唯一の希望であるのが三枝さんの共育学舎なんですよ。共育学舎で過ごした日々は本当に素晴らしかった。さまざまな人が行きかい、日々の農業で快く汗を流し、温泉で日々の疲れを癒す。ニートやひきこもりに対する理解があり、世俗に準じないさまざまな取り組みを行っている。

 そうした生活や活動を目の前にして、私もその後に続きたいのです。三枝さんの活躍に参加して学びつつ、私自身が次に何かしらの活動を起こせるようにしたいのです。私が何かを求め続けて、前へ進もうという気が起きるのは共育学舎での日々をもう一度過ごしたいと思っているからです。それすら途絶えてしまえば、私はまぎれもなく、ただの「腐ったみかん」になり下がってしまうのですよ。共育学舎は私にとっての精神的活動の命綱でもあるんですよ。


 今月は、農業法人の遅配の給料が出るまで、共育学舎の参加は待とうと考えています。ですが、それも駄目だった場合でも、共育学舎へ何かしらメールをお送りしたいと考えています。

 今日はこの辺で、それでは。


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