友人2人との対話

 先週の土曜日(3月1日)と日曜日(3月2日)は、それぞれの友人に会ってきました。土曜日は高校時代の友人のM(仮名)。日曜日は就活で出会った就活仲間のT(仮名)。Mとは新宿で飲みに、Tとは小川町・神保町近辺で食事をして、会話をしてきました。

 私が今月和歌山の共育学舎へ行くことを、友人2人は私のブログやFacebookを通して知っていました。そのこともあり、友人2人から「せっかくだし、久々に会わない?」という誘いを受けて、今回会うことが実現しました。

 会話には、さまざまな話題が飛び交いました。ゲームなどの他愛のない娯楽の話もありましたが、今回2人の友人には人生における対話(相談)をしてもらいました。

 その内容は、私の人生における「迷い」です。

 正直言うと、私は人生の決断で迷っています。数日前に共育学舎へ行くことを威勢よく決意した私ですが、共育学舎の生活の後をどうするか(どう生きるのか)について迷っています。

 もちろん、そのこともどうするか含めて、自分の人生を見つめ直すために行くのですが、その先のこと(進路)が、ものすごく頭を悩ませています。威勢よく共育学舎へ行くことを決めたとしても、その後のことをどうするかが決まらずに悩み迷っていました。あまりに押しつぶされそうで、もがいている状態です。

 土・日と友人2人に会えたことを機に、この悩みを吐露しました。今回の記事はそのことについて、書いていきます。


 まず、友人Mの話から。Mは高校時代の友人で、当時親友と呼べるくらいに深い付き合いがありました。現在彼は某大手企業に勤務しており、結婚もしています。そんなか彼が、私に言ってくれたことは以下の通りです。

・「安定」か「別の道」か、心の中でふっきれていないから迷う。
・今迷っている状態は別に特別なことではなく、普通のこと。
・社会(他者)とのつながりがあれば、大丈夫。
・人生を選ぶ際、10年後20年後になっても後悔せず、それを受け入れられるか?
・「10年先…」というように、具体的に物事が見えているのか?
・Mはいろいろ考えて、安定を選んだ。
・安定以外の道を選んだとしても、どう生きていくのか?



 と、いう内容でした。

 特にMが強調していたのは、「10年後20年後になっても後悔せず、それを受け入れられるか?」のところ。ここをよく強調していました。Mは行政書士や社会労務士などの資格を持っており、そのスキルをもとで独立を考えたこともあったそうですが、親の反対や結婚して家庭を持ったこともあり、安定の道を選んだとのこと。

 その際、彼は10年先や20年先のことも見えており、自分の具体的な人生プランが見えていました。反対に私はというと、10年先20年先のことが想像もできないくらい、迷っています。「こうしたところで、人間としての差が出るのか…」と思ってしまうほどに。

 この10年先20年先でも後悔しない選択というのが、今回の記事の悩みのタネです。将来のことなど、誰にも分かりません。しかし、過去に自分が選択したことに責任を持って、後悔せずに突き進められるか? 多くの人はこのことを考えると、自力で動ける人はほとんどいないのではないでしょうか。

 「自由」「多様な価値観」といえども、自己責任でそれを受け入れていけるのか? 残酷なことに、この事実は世間であまり言われていません。Mも語っていましたが、日本では人生で失敗した時のリカバリーができず、安定した人生を送れず「人生のゲームオーバー」になります。

 これは本当に悩みどころで、本当はベーシックインカムのようなセーフティネットで、誰でもチャレンジ・リカバリーができる世界にすべきなんですが、それの実現が未だならず。皆が思ったように行動できないことの一つだと思います。かくゆう、私も怖気づいてしまった人間の1人…。


 続いて、就活仲間のTの話。Tとはたまたま就活中(とある企業の面接)で出会い、以後親交が深まった仲。彼はひきこもりや精神疾患などで悩む若者向けのNPO法人goodに参加していて、私も彼を通じてそこにお邪魔したことがあります。

 Tは現在非正規の高校教員として働いています。彼は出会った当初、正社員を目指した就活をしていましたが、元々ツテがあった現在の高校教員に就職。いろいろ苦労しているそうなのですが、彼なりに考え方や創意工夫を実践しているおかげで、彼なりにうまくやっているようです。

 そんなTが私に話してくれたのは以下の通りです。

・今の時点で10年先20年先のことを考えるのは早計ではないか?
・そんな先でなくとも、1年先のことを考えてみるといい。
・今、目の前のことをしっかりやること。
・今をしっかりやって楽しめるかは自分次第。
・どんな物事も一線を引いてはいけない(面倒くさがらず、楽しめるようにする)。
・何かしら行動に踏み出すことで、目標が見えてくる。
・どんな身近なことでもいいから、それを目標にして、日々チェックする。
・いくらかお金をつくっておく(資産・資本)。
・どんな物事でも、動けば失敗・後悔ではなくなる。
・不安なことで目の前のことができなくなったら、紙に書いてそれを把握する。



 Tには、土曜日に会ったMの対話のことも話しました。十人十色というように(?)、Mとは違った話が出てきました。人生において目標があることや将来を見通した選択については、賛同していました。

 ですが、「CHAGEAS-FANは現時点でまだ動いていないから、将来のことなんて分かるわけないでしょ」と話していました。Mは現実的に物事を見ていますが、Tは初歩的に物事を見ています。


 さて、両者との対話ですが、どちらが正しくてどちらが間違っているというのはありません。私はどちらの意見もとても参考になりました。両者との対話を終えて、自分なりに考えたことは、

 早期に物事に決断を下すこと。
 そのために共育学舎での長期滞在で、しっかり自分の人生を見つめ直すこと。


 です。今回の長期滞在では後悔しないように、思う存分長期滞在してきます。他にもいろいろ学んだこと・気をつけるべきこと・考えることはいろいろあるのですが、ブログで取り上げるのは、ここまでにします。


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コメント

No title

10年、20年後がわかる、見えてる、なんて傲慢だと思うなあ。
今の所属や社会が半永久的に続くものだと信じきっているのは、昨今、逆に叩かれる要素だと思う。
大きな組織に所属しているからこそ、ある程度その「持続性」に可能性が高くて、ある意味「高みの見物」的な感覚があると思う。

それぞれの人がおかれた状況が、すでにその人の思考回路を形成してしまうと思うね。俺は、俺たちにより近いであろうと感じたTさんのに同感。それが当然なのかなって思った。

Re: No title

>>amuさん
遅れましたが、コメントありがとうございます。

>大きな組織に所属しているからこそ、ある程度その「持続性」に可能性が高くて、ある意味「高みの見物」的な感覚があると思う。
後出しジャンケンのような言い方で申し訳ないですが、確かに友人Mは俗世(現行の社会)に不満なくどっぷり浸かっている分、他者が迷っていたり悩んでいたりすることがあまり理解できないように感じます。
私が共育学舎へ参加することや、共育学舎が掲げる理想について、関心が持っていませんでした。
彼は職務上公的な仕事に立ち会ったりするのですが、俗世で馴染めない・うまくいかない人たちに対する視線が「こいつらバカだなあ。俗世の言うとおりにすれば生活に困んないのに」みたいな他人事の視線なんですよね。
我田引水、「自分さえよければそれでいい」みたいな考え方です。
人間誰しも利己的な側面があるのでそれ自体を悪いとは言いませんが、彼は職務上公的な仕事をする公務員のような立場の人間ですから、他人事・我田引水の姿勢で仕事をしちゃいかんのですよ。
市民意識の高い三枝さんから見れば、「もう少し世のため・人のために働こうとは思わんのか?」と問いたくなるほどです。

>それぞれの人がおかれた状況が、すでにその人の思考回路を形成してしまうと思うね。俺は、俺たちにより近いであろうと感じたTさんのに同感。それが当然なのかなって思った。
友人Tは共育学舎の参加についても好意的で、その理想についても賛同してくれています。
Tは俗世に馴染めない(という感じの)経験がある分、現在共育学舎で生活している私から見ると、Tの考えの方がいろいろとしっくりきますね。
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