ベーシックインカムで一億総消費者社会になる(2)

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 一億総消費者社会では、「生産者がいない消費者だらけの社会」と思われてしまいそうだが、決してそうではない。人々が社会で生きる上で、「生産者として生きる割合を減らし、消費者として生きる割合を増やす」ということを述べているのだ。完璧に生産者という立場を降りるのではなく、あくまで生きる上での生産者という立場の割合を減らすことに意義がある。もちろん、生産者と言う立場だけで生きてもいいし、消費者という立場だけで生きてもいい。

 消費者として生きる割合を増やすということは、生産物を享受できる可能性が大きく拡がることを意味する。

 具体的にいうならば、飲食店で廃棄されるはずだった食品が廃棄されることなく、より多くの人々に消費してもらうことが可能になるということだ。激化した競争も、BIによって経済的な生活苦から解放され、やむを得なく生産活動に従事していた者はそこから(度合いは個人によるが)降りることができる。飽和した生産活動が減ることで、これまで供給多寡だった現在の経済情勢が緩和され、適度な供給に落ち着く。過酷な労働によってうつ病などの疾患に悩まされている人々は、もう生産者として無理な労働をしなくても良くなるのだ。

 BIはあくまで最低限の社会保障金額に留まるため、BIだけでは豪勢な消費は不可能。もっと消費を楽しみたい人は生産活動に従事するであろうし、そこまで消費に固執しない人はBIを足したほどほどの労働給金で満足するだろう。

 ここまで書くと「生産者がいなくなるのではないか?」という疑問を抱く方もいると思うが、これはほぼ問題ないと考えられる。というのも、以前こちらの記事で、大金持ちでありながら質素な生活を送るチャック・フィニー氏の事例を考えれば分かりやすい。フィニー氏に限らず、彼らのように莫大な財産を築きあげるほどの生産者というのは、生産活動に従事すること自体に楽しみや意義を抱いており、消費に対してはそれほど固執していないことが多い。ホリエモンこと堀江貴文さんが、度々自身の著書でそれほど高額な浪費を楽しんでいないことを語っていることからも明らかである。

 つまりBIを導入しても、消費者として生きるよりも生産者として生きることを選ぶ人(消費者よりも生産者として生きる割合を増やしたい人)は必ず出てくるということだ。私が以前お世話になったNPO共育学舎も、(言い方は悪いが)あまり儲けにはならないプロジェクトをいろいろとやっている。だが、こうしたプロジェクトというのは儲け以上のリターンがあるからやっているのである。生産者・生産活動そのものがなくならないのは、これらと同じ原理である。

 BI導入後に生産者として従事する人間がどれくらいになるのかは、実際に導入してみなければ分からない。しかし、消費者が増えるということは、生産者が受けることができる恩恵の確率も増えることを意味している。消費者にとっても、生産者にとっても、これほど恩恵の高い社会構造はうれしいものである。

 「消費者が多くなると、生産者の立場が弱まってしまうのではないか?」という不安視する声もある。だが、これは大きな誤りだ。現在「お客様は神様だ!」と言わんばかりの王様気分に浸る消費者がいるが、これは供給多寡による生産者・生産活動の飽和状態による生産者側の立場が弱まっていることが一因としてあるからだ。生産者が減り、消費者が増えれば、需要と供給のバランスが改善され、双方対等な経済活動が可能になる。どちらが偉いということもないし、どちらが卑下する必要もない。「何かしらの生産物を享受し、その対価を払う」という原始的で分かりやすい経済のサイクルが復活できるのだ。


 現在アベノミクスで景気回復が期待されているのが、その一方で人手不足による企業の倒産など、単純な景気回復や経済成長だけでは解決できない問題も起きている。もはや、そうした幻想で社会の立て直しを図ることを辞めるべきだ。「本当の自由とは何か?」「本当の平等は何か?」といった人類が生きる上で根本的な課題や問題をしっかりと直視するような解決策を図るべきである。そうしたことができるのが、自由と平等という2つの要素を兼ね備えたBIなのだ。

 私たちは、今こそこのパンドラの箱を開けて、希望を見出す時である。ベーシックインカムは空想無き現代社会に残された、希望の光なのである。


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