問題を調停する力

 ネットサーフィンしていたら、とても興味深い記事を見つけた。まずはそれを読んでほしい。

Buzz media「バスの中で言葉の暴力を喰らった」

 これは障害者の息子を引き連れてバスに乗車した母親が、バスの乗客からタイトル通り言葉の暴力を喰らったことをつづったもの。言葉の暴力を発していたのは、小さい子連れの母親のグループ。あまりのひどさに途中下車しようと思った母親だったが、その後バスの運転手が母親グループに対し、降りるように述べたのだ。

 それが以下の文章である(文章を一部改訂・中略し引用した)。

さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって
「えー、奥さん、ここで降りてください」
と言われる始末。
『あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんか』
と思いながら車いすを外そうとしたら
「あ、お母さんじゃなくて」
と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」
私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。
 (中略)
さらに降りるときに運転手さんに
「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」
と言ったら
「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」
と言われてた。
その人たちが降りてからお礼を言ったら
「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」
と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中
捨てたもんじゃないと思った。



 多くの人は上記の文章を読んで、「弱者である障害者を、悪口を言う強者である健常者から救った」というところに共感する人が多いだろう。バスの運転手を褒め称える声には、性善説のような倫理観が含まれている。

 だが、私が注目しているのはそこではない。この文章でとても興味深いと感じたのは、バスの運転手が上記のような行動を起こしてまで、その場における問題を調停(対処)したことだ。タイトルにもある問題を調停する力。バスの運転手は、「他の客から迷惑を被っている客がいる」という問題に、その力を行使したのだ。

 この理由について、説明しよう。

 上記の文章におけるバスの車内において、強者は誰であるか? 健常者かと思う方もいるかと思うが、正確にはバスの運転手である。彼がいなければ、当然ながらバスは運行できない。また、バスを運行するにあたって、そこで起きた問題を調停(対処)することも立派な職務(責務)である。

 運転手が悪口ばかり罵る健常者の客をバスの車内から追放したのは、彼の職務の範疇。すなわち、平たく言えば、運転手は職務を遂行したに過ぎない。

 「職務を遂行した」というと、当たり前のように聞こえるかもしれないが、これが難しい。こうした状況はバスの車内に限らず、どのような状況下でも起こりやすい。「モンスター○○」と言うほど、理不尽で迷惑な要求ばかりする消費者や顧客の存在が懸念される昨今において、上記の文章のような迷惑行為を行う客を追い出すというのが、いかに難しいことなのかが分かる。ましてや、降りるようアナウンスしても、相手が反発して来て、その場が更にこじれる危険もある。

 運転手はそうした危険をはらんでいる迷惑客の追い出しのアナウンスを行い、迷惑行為を受けていた障害者親子を救ったのだ。この問題を調停する力だが、強者であればできなければならないほど重要なものである。

 例えば経営者。自分の会社内で起きている事業や従業員の問題を調停しなければならない。そうしたせずに「(従業員や顧客などが)悪いんだ!」と言って、問題の調停を放棄してしまったら、「なんのために経営者がいるのか!」と言われても仕方がない。

 この問題を調停する力は、コミュニティなどで人の交流や移動が増える現代において、そこで起きる問題を解決するのに必要となるだろう。調停する際、双方の主張や意見を聴き、そのうえで納得できるような問題解決を思案できるかどうか。そこが問われる。なかなか難しいことではあるが、問題がこじれてばかりで何も進展しないよりは、何倍もマシなのは確かである。


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