衰退する田舎はあってもいい

 当ブログで相互リンクをしているぐすくまさんのブログで興味深い記事を見つけた。まずはそれを読んでほしい。

なまけものみち「ニッポンは衰退しました」

 この記事では、現代の日本社会が抱えているさまざまな社会情勢から、田舎が衰退していくことを述べ、それを肯定的に書いている。

 別に田舎が衰退してもいいじゃん。

 人口数人~数千人しかいない山村・離島・地方は切り捨てて、人口数万人規模の地方都市、郊外の街の 機能を充実させるべきだ。ヒトの数は減っている。ならば、ある程度人が集まっているところにインフラや行政の機関を集約したらいい。目指すべきは、ミニマムな国づくりである。
 もちろん、人が集中しすぎている東京、大阪、名古屋などの大都市に呼び込ぶのではない。あくまで「数万人の地方都市」というところがキモだ。
(中略)
 従事者の高齢化と若手の後継者不足が嘆かれている農業界だって、一度行き着くところまで行き着いた方がいい。本来、田んぼや畑などの所有者が死ねば、その 後継者が土地を引き継ぐのだろうが、このままでは後継者がいなくなり、畑は荒れ放題となる。これは一見ダメなことのようだけれど、実はすごいチャンスでもある。
 なぜなら使い物にならなくなった土地を国が安く買い上げて、畝を取り去って大規模な農園に作り替えることができるからだ。このアイデアは関東大震災後の復興、首都大改造を指揮した後藤新平の案をパクった。

 地方が衰退したら、それにともなってその土地土地の文化も死んでしまうのだろうけれど、それに対してぼくは楽観的だ。この世の中にはいろんなもの好きがいて、熊野に住んだり梶並に住んだりする輩がいるのだから。それにそういう、あえてその土地に住まうという気概を持った人たちでなければ、血の通った文化は生き残らないだろうとも思っている。



 この記事には、「その通りだ!」と声を挙げたくなるくらい、賛同できるところが多い

 まず、「別に田舎が衰退してもいいじゃん」という考えだが、実はこれ、ホリエモンこと堀江貴文さんがすでに提唱していたりする。彼の著書である『格差の壁をぶっ壊す!』にて、地方における地域格差を埋めるための事業や政策が無駄であることを述べている。

 そうしたところにジャブジャブと国のカネをつぎ込んで、経済格差を埋めようとすること、それが本当に正しいことだろうか。一昔前なら、人の住まなくなった限界集落は、やがて廃村となっていった。財務状況が完全に崩壊してしまったような自治体は、むしろ衰退していく方が自然と言えるのではないだろうか。



 限界集落に何かしら縁のある人は分かると思うが、住民は高齢者ばかりであと10年もしたら、自然消滅してしまいそうな地域は確かに存在する。NPO共育学舎の代表である三枝さんは、そうした地域を盛り上げるべく、さまざまな活動をしている。三枝さんは「(限界集落の問題をどうにかしようと思うなら)、今後の10年間が大事だ」ということをよく仰っていた。

 だが、ぐすくまさんの仰る通り、そうした地域は見方を変えれば、非常にチャンスがある。現に三枝さんはそのチャンスを通じて、さまざまな活動を拡げることができた。廃校となった小学校を無償で借りてNPO共育学舎を開設できたし、無償で田畑を借りて農作物を生産できたし、地域の山で採れる間伐材を使って耐震ベッドを作ることもできた。

 金持ちと貧乏人は都会に住み、小市民は地方都市に住む。そして、もの好きや世間からドロップ・アウトした者たちが開拓者精神でもって田舎の村や離島を造り替える。それこそが真の地方創生と言えるのではないか? 

 で、それ以外のトコロは全て自然に帰り始めるのだ。福島原発周辺の閉鎖された町のように。廃墟となり、やがてもののけ姫のような森に成っていったら、ぼくはとても嬉しいし、この国は今よりもっと美しい国となるだろう。



 「自然に帰り始める」という発想が大変素晴らしい。日本という国は、国土は大して広くないのに、人口は1億人以上とかなり多い。これから少子化で日本の人口が減ることは確実であるし、人が住まなくなった地域は自然に戻った方がいい。農地に活かせるのであれば、農地にした方がいい。

 個人的に都市部の郊外が、『平成狸合戦ぽんぽこ』で描かれていた昔の多摩丘陵のような地域に戻ってくれるような感じをイメージしている。人が集まる所に人が集まり、自然が拡がる所に自然が拡がる。それが現実となっと時の日本は、欧州並みの自然があふれているだろう。


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