『まんがで読破 わが闘争』

わが闘争 (まんがで読破)わが闘争 (まんがで読破)
(2008/10/01)
ヒトラー

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 読書のカテゴリではありますが、今回は漫画の紹介。以前紹介した『まんがで読破 蟹工船』と同じシリーズです。

 本書は第二次世界大戦を引き越し、多くのユダヤ人を殺したナチス・ドイツの独裁者であるアドルフ・ヒトラー。彼の回顧録として、1925年に出版され、当時のドイツでベストセラーとなった『わが闘争』を漫画化したもの。『わが闘争』はヒトラーの回顧録であり、彼が今後取る政策方針や世界観についても書かれています。

 本書では、ヒトラーの少年時代からナチス党首として「ミュンヘン一揆」と呼ばれるクーデターまでの半生が詳しく描かれています。その辺りの内容について、今回の記事で紹介します。


 若き日のヒトラーは絵画の才能があり、画家を目指していたのは有名な話です。ですが、彼の父は画家になることに反対していました。ヒトラーの理解者であった母は、彼が18歳の時に病死し、ヒトラーはとても悲しんだといいます。その後も画家を志すも、オーストリアの美術学校の入学試験に不合格。

 画家になれなかったヒトラーは都会で貧しい生活を送ります。その時出会った日雇い労働者から、「ユダヤ人が世界を支配し、人々を苦しめている」という話を聞きます。その話からユダヤ人についていろいろ調べたヒトラーは、だんだんユダヤ人に敵意を抱くようになります。

 「ユダヤ人からわが民族(アーリア人)を守るために闘う」という志しを持ったヒトラーは、彼の出身地であるオーストリアからドイツへと移住。1914年に第一次世界大戦が勃発。ヒトラーもアーリア人の祖国であるドイツを守るべく入隊・出兵するのですが、ドイツは敗北。この敗因がユダヤ人の仕業であると考えた、ヒトラーはユダヤ人への敵意をより深めていくこととなります。

 ヒトラーは第一次世界大戦後に知った「ドイツ労働者党」に入党。入党後は類稀なる政治的手腕と演説能力で支持者を増やしていくことに成功していきます。この活動のおかげで弱小政党だったドイツ労働者党は大きくなり、後のナチス・ドイツの重鎮となるエルンスト・レームルドルフ・ヘスも入党します。

 その後ヒトラーはより勢力を拡げるべく、党名を「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)」と改名し、党のシンボルであるハーケンクロイツも老案。党の設立者であり党首であったアントン・ドレクスラーから党首の座を譲り受け、党首となりました。1921年にはベルサイユ条約により、ドイツ国内はハイパーインフレと大不況にさいなまれ、ナチス党の思想や主張がより民衆から支持を得るようになっていきました。

 ナチス党は革命を起こすべく「ミュンヘン一揆」と呼ばれるクーデターを起こし、ドイツ国家の政権掌握を測るも失敗。ですが、裁判時にヒトラーの類稀なる演説で、国民からの指示を得ることに成功し、判決は軽い禁固刑で済むことになりました。その獄中生活で出版することになったのが『わが闘争』です。といってもヒトラー自身が執筆したのではなく、彼が公述したものをヘスが記録し、それを編集しています。


 読み終えた感想ですが、とても興味深い内容でした。私はナチズムの支持者ではないですが、ヒトラーの言動や思想はいろいろと興味深いところが多いです。

 演説の上手さは某バラエティ番組にて心理学者がヒトラーが人間の心理現象を巧みに掴んだ演説で天才だと評し、政策はアウトバーン(高速道路)の公共事業などで失業率改善・景気回復を実現し、オリンピックの誘致にも成功したという実績まで持つ偉業。まさに彼の政治的手腕の素晴らしさを物語っています。

 上記の偉業は本書では触れられていませんが、本書で書かれている彼の半生を見ると、その偉業を実現できるだけの才能があったことが分かります。

 ヒトラーを含めたナチスの事柄というのは世界的にタブー視されていますが、第一次世界大戦での敗北、敗北で重くのしかかったベルサイユ条約の不条理な要求、そこから来たドイツ国内の不況。そうした状況がホロコーストなどの恐ろしい歴史を生み出してしまった点は否めません。本書を含め、そうした歴史を認識することで、今後の社会の在り方をどうするかを考えるきっかけになるのではないか、と思います。


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