『名探偵コナン』をあるストーリーから見た私の見解(2)

前回の記事はこちら


※今回の記事は、『名探偵コナン』の「孤島の姫と竜宮城」のストーリーのネタバレが前提で書かれています。ストーリーを未読でこれから楽しみたい方は、ストーリーを原作単行本などで読み終えてから今回の記事を読むことをオススメします。


 前回はコナンの作風そのものについて書いてきたが、今回は「孤島の姫と竜宮城」のストーリーについて書いていく。

 まず読み終えた感想だが、どうも全体的にしっくりこなかった。今回の事件は、悲劇的な展開を迎えるストーリーなのだが、それを差し置いてもあんまり納得できる内容ではなかった。ストーリーそのものが気に食わないとか、そういうわけではない(私がネット上で検索した限りでは、「孤島の姫と竜宮城」の評判は良いものになっている)。

 このストーリーそのものについて、私なりの見解を順序立てながら、斬り込んで書いていく。「斬り込んで」という言葉を添えているので、愛参謀さんの『北斗西斗』のように、悪いところなども含めていろいろ突っ込んで書いていこうと思う。


1.平良伊江は生かしておくべきだった

 私が今回の記事において、最も強調しておきたいのは登場人物の一人である平良伊江の扱いだ。推理ものにおいて、「この人物は死ぬ設定にすべきではなかった」というのは野暮ではあるが、今回の事件の第一の被害者である平良伊江については個人的にそう言わざるを得ない。

 事件の真相で、平良伊江は五年前に起きた誘拐強盗事件を発案・計画した張本人であり、誘拐されたお嬢様である金城都であることも判明する。彼女を絞殺した大東幹彦は、彼女が死ぬ間際に行った「ごめんね、ちよ兄…」という言葉を聞くまで、彼女が自分がかつて仕えていた主のお嬢様であることに気づかなかった。

 私が彼女を生かしておくべきだったと考えるのは、五年前の事件と今回の事件を含めた一連の騒動に一番向き合わなければならないのが他でもない彼女自身だからだ。

 彼女は大東に首を絞められても「ごめんね」と謝るくらい、事件の責任(良心の呵責)を感じていたのだろう。日頃から「自分は殺されてもいい」というぐらいの覚悟もできていたと思う。無口で何を考えてるのか分からなかった船長の下地や、事件でビクビクおびえるだけのヘタレの久米なんかとは違うのだ。「殺されてもしゃあないね」と思われるようなアバズレなんかでは決してなかったのだ。

 だが、彼女は殺されてしまった。事件に一番向き合わなければならなかった彼女が死んでしまったせいで、一連の騒動にどう向き合う(決着をつける)かができなくなってしまった。事件と向き合うことができなくなってしまったということは、残された大東や町長に対する償い(罪の向き合い)もできなくなったということでもある。私が彼女を生かしておくべきだったと言うのは、生き残ることによるハッピーエンドを期待しているわけではないのだ。

 仮に彼女が生き残ったとしても、それは決して幸せな道ではない。一連の騒動による責任から過酷な人生となるだろうし、殺されることによる死の退場よりも、ずっとつらいものになることは確かだ。だが、上述の覚悟から考えれば、彼女はそれを受け入れても強く生きていくことができるだろう。今回の事件を起こしてしまった大東も、そんな彼女を見れば、残りの刑務所暮らしへの励ましになるだろう。

 余談だが、殺されるはずだった久米はコナンたちのおかげ生き残ったが、あのヘタレっぷりでは事件後もろくなことはしていないだろう。個人的に殺すなら、彼女ではなく、この久米を殺すべきだったと思う。あのヘタレっぷりを見ても、事件を起こしたことに対する責任や覚悟はできてなかったろうし、事件後に騒動のことを向き合うことができるかどうかも微妙だ。


2.コナンたちの事件へのフォローが足りない

 これは「孤島の姫と竜宮城」に限ったことではないのだが、コナンでは事件に対するフォローが足りない気がしてならない。ここで言うフォローとは、上述したような事件に対する関係者の向き合い方や、事後のアフターケアを指す。

 金田一では、事件関係者へのフォローがとても多い。自殺してしまった犯人のお墓参りに行ったり、新たな真実が分かったことを服役中の犯人に面会して話したりという場面がおおい。悲劇な展開が多い金田一において、こうした描写は単に心温まるものとして描かれるだけでなく、「事件に関わった人間として、どう向き合うのか」ということを深く気づかせてくれる。テレビドラマの『相棒』でもそうした演出がよく採られている。

 今回のコナンの事件である「孤島の姫と竜宮城」を含め、コナンではそうしたフォローがあまりないように思える。私は初期の作品ならよくテレビアニメで観ていたのだが、どれも事件の解明を推理して、そこで終わりという流れが多かった。

 これはコナンのストーリーの方向性上、仕方のないことかもしれない。私が小学生の頃もそうだったが、コナンはどちらかというと推理そのものを重きにおいているし、そこに人気がある。推理の先に隠された真実を読みとる相棒や金田一とは、推理物としての見せ方が違うのだ(現にコナンが他番組でゲスト出演する時は、クイズや科学実験などトリック解明をテーマにしたものばかり)。少年漫画である以上、きな臭い人間関係が織り成す真実よりも、奇想天外なトリックを解明する演出の方がこども受けしやすいだろう。

 それに加えて、前回でも指摘したページ数の少なさを考えると、物量的にフォローの描写までは描ききれない。そうしたことを考えると、さすがに難しいところではある。


3.コナンが哀しみを背負っていない

 これは先ほどのフォローの描写と通じるところでもある。コナンでは事件の真相そのものは解決しても、その事件に関わったことに対する向き合い方が描かれていない

 金田一は、自分が遭遇してしまった悲劇の事件に対し、涙を流している。涙を流していいる以上、彼はその事件で起きた哀しみを背負っている。これは『北斗の拳』におけるケンシロウが強敵(とも)の死の哀しみを背負うことと同じだ。その哀しみが理解できるからこそ、金田一や相棒のように事件関係者に対するフォロー(アフターケア)ができるのだ。これは彼なりに事件と向き合っている姿勢の表れでもある。

 コナンでは残念ながら、そうした哀しみを背負う描写が無いように感じる(他のエピソードを詳しく探せばあるのかもしれないが、私が過去に見てきたストーリーにはいまのところない)。コナンの「小五郎の同窓会殺人事件」では、「どんな理由があろうと… 殺人者の気持ちなんて… わかりたくねーよ…」という突っぱねた描写があることから、青山さん自身があまり事件関係者(特に犯人)の哀しみを描くのは好みではないかもしれない。

 そう考えると、殺された平良伊江も青山さんから見れば「こんだけの騒動起こした張本人なんだし、死んでもしゃあないね」という扱いなのだろう。今回の事件の犯人である大東に関しても同じことが言えてしまう。そうだとしたら、いくらなんでも無慈悲すぎると思うが。


 ここまで、長くつらつらと書いてきたが、「孤島の姫と竜宮城」のストーリーは別にダメなわけではない。いろいろなストーリーの伏線の設定ができているのに、全体的にその設定に踏み込んだ描写がなかったのが残念なのだ。もっとそうした描写が描かれていれば、より味わい深い悲劇的な事件として楽しめたであろう。


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