負け犬が負け犬たる本当の理由(1)

 数ヵ月前、私はおよそ2年ぶりに東京しごとセンターに立ち寄った。立ち寄った理由は、しごとセンター内にあるハロワで求人を探すためだ。この時、以前親しかったしごとセンターのスタッフのF(仮名)とバッタリ出くわした。向こうも私のことを覚えていて、立ち話もなんだと、専用のブースで座って話すことになった。

 向こうは私のことをいろいろ訊いてきたのだが、ここで思わぬことが起きた。相手は私のこれまでのことを聴いているうちに、だんだん手のひらを返すように、私を小馬鹿にし始めた。

 私が茨城県の農業法人で精神がズタボロになって帰ったことでは、就労期間が短かったことに難癖をつけた。熊野の共育学舎でいろいろな活動したことについても、共育学舎が株式会社やNPO法人でないと知るや否や、「よくまあそんな所で…」というように、鼻をかけたような言い方で否定した態度ばかりとってきた。挙句の果てには、熊野で生活・活躍している人々のことを小馬鹿にする始末。

 私はこのFの態度に、心底腹が立ったし、心底見損なった。そして、「こいつがこんなくだらない負け犬だとは思わなかった!」と、心の中でうんざりした。

 私のことをどう思おうが大いに構わないが、熊野にいる人々まで小馬鹿にするのはいささかブチ切れそうになった。こんな人間がしごとセンターのような就労機関で、「社会人としてどうの…」「仕事のやりがいがどうの…」と大層にほざいているのだから、世も末である。他人や地域の事情も知らずに小馬鹿にしておいて、何が社会人だ! 少なくとも思ったことを中途半端に口にしている時点で、女々しくて情けないったらありゃしない。

 熊野のことを馬鹿にされるのは、今回が初めてではない。熊野のことが理解できないからなのか、熊野のことやそこにいる人々のことを馬鹿にする輩は多く見てきた。だが、そのいずれの輩も私から見れば、情けないほどの負け犬ばかりだった

 私が以前勤めたIT企業の同年代の同期と会った際に、熊野のことを話したら「CHAGEAS-FANはそうやって遊んでいたんだ…」と、冷やかな言い方をされたことがある。彼は負け犬と呼ぶほどチンケな人間ではなかったのだが、世の中の人々は熊野やそこで生きる人々が現実逃避した空間とでも思っているのだろうか。もし、そう思っているのならば、そいつらの思考回路の方が馬鹿げている。

 熊野で生活・活躍している人々が能天気に毎日ハッピーな生活をしていると思ったら、大間違いだ。共育学舎で数カ月滞在すれば分かるが、決して毎日がハッピーなわけがない。「○○さんの事業うまくいってないらしいよ…」「××さんのやり方じゃ、農業なんてできるわけがないのに、なぜ分からないのか…」といった、何かしらのトラブルやネガティブな話は、耳に入ってくる。共育学舎での活動をしている三枝さんですら、さまざまな問題に頭を抱えながらも、真摯に対応しているのが現状なのだ。これはどの地域社会でも、同じことだ。

 そうした三枝さんらとは裏腹に、世間では上述した負け犬が跋扈している。こんな負け犬どもを見ていると、いやでも彼らが負け犬たる本当の理由が見えてくる。次回は、その理由について詳しく述べる。


つづく


スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する