続・「貧乏人は善で、お金持ちは悪」という虚構

 以前の記事にて、

富裕層(金持ち)批判をする人々の多くは「貧乏人は善で、金持ちは悪」という概念を信じている。「俺たち貧乏人はこんなに苦しんでいるのに、金持ちばかりが得をしてばかりで許せない!」と叫ぶ。


と書いた。

 多くの人がこのような概念を信じている理由はさまざまあるが、その理由の一つに「お金は額に汗して稼ぐものだ」という考え方がある。お金は汗水たらして、誠実にコツコツ稼いだ努力の賜物(結果)と考えている。この考え方に基づけば、富裕層が自分たちの労働以上に儲けているのは「何か悪いことをして儲けているからに違いない!」と疑ったりする。

 特に日本では、ホリエモンやジェイコム男さんのような若くして(短期間で)財を築いた人に対して、嫉妬や疑問の念を投げかけられたりする(逆に、本田総一郎社長や孫正義社長のように地道に働き続けて、年を取ってから財を築いた人に対してはあまり批判されない)。他にもお金持ちの家系で育った子供や莫大な親族の遺産を引き継いだ人も、この考え方を信じる人のバッシング対象になる。

 「お金は額に汗して稼ぐものだ」という考え方に基づいて、「貧乏人は善で、お金持ちは悪」という構図を唱える人が多い。

 だが、はたして本当にそうだろうか?

 何が言いたいのかというと、「皆本当は労せずにお金をジャンジャカ稼ぎたい(お金持ちになりたい)と考えているのではないか」ということ。「何をバカなことを言うんだ!」と思う人もいるかもしれないが、そのことをよく示した証拠がある。

 それは日本でも世界でもよく売れる宝くじだ。

 宝くじといえば御存じギャンブルの一つで、夏や大晦日などになるとCMがバンバン放送され、一攫千金を狙って多くの客が購入していく。なぜ多くの人が宝くじを買うのかというと、一攫千金を夢見るというのももちろんが、最も魅力的なのは一攫千金を叶えるまでの労力だ。

 宝くじは券を買って、あとは当選結果を待つだけ。たったこれだけの労力で、一攫千金のチャンスが得られるのだ。競馬のようにめんみつな計算で万馬券を予想したり、パチンコのように長い時間台をいじったりするようなことはない。他のギャンブルで必要とされる何かしらの努力も知識も才能もいらないのだ。

 これだけ魅力的なものなら、「お金は額に汗して稼ぐものだ」という考え方なんて、ばかばかしく感じるだろう。宝くじ売り場にできる長蛇の列はそのことを物語っている(ただし、宝くじの1等賞に当選する確率は160万分の1といわれ、交通事故で死亡する確率よりも低いとされている)

 宝くじ以外にも、誰もがお金持ちになれる可能性を説いた本がベストセラーになるのも、「簡単に儲かりますよ」という口車に乗せられて詐欺事件に遭うのも同様だ。


 昔からある富裕層への批判だが、いろいろ考えてみれば、本当は誰だって金持ちになりたい(より多くのお金があったらいいな)と思っている。そう思う理由は、単純にお金があればあるほど、幸せになれる可能性が高まるからだ(100%幸せになれるわけではないが、可能性としては高まる)。

 日本を含めた資本主義下での市場経済では、魅力あふれる財やサービスがあふれている。それらを享受するにはお金が当然必要となる。となれば、単純にお金さえあれば財やサービスが享受できるのだから、たくさんのお金を持つことに魅力を持つのは当然なのだ。

 そうした事実を含んでいない「貧乏人は善で、お金持ちは悪」という構図は何の意味もなく、単なる虚構に過ぎない。それでも多くの人がその虚構を信じているのは、自分たちが格差で苦しんでいることに対する不満や怒りを、富裕層へ感情的にぶつけているだけ(スケープゴート)に過ぎないからだ。

 私は金持ちが言うことがすべて正しいとは思っていないし、やっていることもすべて正しいとは考えていない。これは貧乏人も然り。しっかりとした経済敵・合理的な知識を持って生活すれば、金持ち批判なんかするより、自分が金持ちの側に回れるよう行動する方がずっと得だということが分かるだろう。

 「貧乏人は善で、お金持ちは悪」という虚構を信じて金持ちバッシングするのは、もうそろそろ辞めにしよう。そんなことよりも、もっと経済的・社会的に私たちを救ってくれる考え方や主張はもうすでにあるのだから。


<参考文献>
橘玲『知的幸福の技術』
橘玲『不道徳な経済学』
堀江貴文『格差の壁をぶっ壊す!』

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