自分を救えるのは自分しかいない

 私が去年、大崎上島に滞在していた時のこと。

 当時従事していた大崎下島での農協での仕事を終えて、Nさんの家に向かおうとしていた。その際、自分のスマホをチェックすると、和歌山のNPO共育学舎の代表である三枝さんから電話が入っていた。後々折り返し電話してみると、Nさんに用があるとのこと。

 Nさん宅に着いてから、三枝さんとNさんは電話で話をした。私はそばで両者の通話を聞いていたのだが、どうやら三枝さんからNさんに頼み事とのことらしい。

 通話後にNさんに詳しく聴いてみると、三枝さんの所の滞在者で大崎上島に来たい人がいるから、その人を受けて入れてくれないか、という話だった。だが、Nさんによるとあまり良い雰囲気の話ではなかったよう。

 結局その受け入れる人が来たのは、私が大崎上島を去ってからのこと。私はそのことをしばらく忘れていたのだが、ふと気になり、その後NさんやMさんを通して、その人の詳しいことを聞いた。

 受け入れた人はWさん(仮名)という男性の方で、私やNさんよりも年上の男性だという。

 だが、このWさん。NさんからもMさんからも、あまり良い話を聞かなかった。というのも、話を聞く限りではニート・ひきこもり気質の方であることが分かった。

 朝が起きられず、長時間の睡眠。地域の方から頼まれたお仕事をこなせずに、わずか1日目でボツ。見かねたMさんが「こんなことしてたら、誰も雇ってくれへんよ」とWさんに諭したほど。

 その後、Wさんの都合により、彼は帰省したという。また来たいという主旨の発言をしていたそうだが、Mさんは「もう来ないと思う」と仰っていた。Mさん曰く「(彼には大崎上島との)ご縁がなかった」とのこと。

 Mさんから他にも聴いたのだが、どうやらWさんは三枝さんや大崎上島の地域の方からも匙を投げられるほど、生活や仕事になじめなかったという。三枝さんと地域の方は「来るもの拒まず」の精神でやってらっしゃるのだが、そうした方々からもWさんは匙を投げられた。さらにMさんはこう仰った。

 「俺は優しい人間やないで。頑張っている人に背中を押してあげることはするけど、そうでない人にはやらへん」

 私はこの話を聞いた時、いろいろ思うことはあったが、一番に思ったのは、

 「ニート・ひきこもりから積極的に脱しようとしない人の未来って、こうなるのか…」

 と。Wさんには申し訳ないが、あの三枝さんやMさんから匙を投げられたという時点で、聴いていてかなり残念だった。特にMさんは道行く先で困っているお年寄りの方にお声をかけるほどの聖人のような方だ。その人からも匙を投げられては、非常に何とも言い難いネガティブなことである。

 MさんはWさんのことについて、「いまの自分を変えようとする姿勢や思いがみられない」ということも仰っていた。彼には、ニート・ひきこもり気質の自分を脱しようとする姿勢や思いがなかったのだろう。

 以前こちらの記事でも書いたが、「ニート・ひきこもりでいいや」「ニート・ひきこもりでいたい」という消極的な人に手を差し伸べる人はいない。こういう人達に対して、「そういう人達を受け入れたっていいじゃないか」と反論する人もいる。

 だが考えてほしい。「来るもの拒まず」で活動されている三枝さんや大崎上島の地域の方、頑張っている人に背中を押してあげるMさんのような方々から匙を投げられるような人を本当に受け入れたいのか、ということを。受け入れろと反論する人は、何のためにそうした消極的な人を受け入れたいのかと。

 三枝さんだって、大崎上島の地域の人だって、Mさんだって、Wさんのために行動されてきた。けど、Wさんはそれに応えず、ネガティブな結果を出してしまった。だから、どの方も匙を投げてしまった。普通の人はそんなことがないように精一杯行動する。朝だって早く起きて、仕事をして、生活をして、払うべきお金は自分できっちり払う。これが普通である。

 今回のWさんのような「ニート・ひきこもりでいいや」「ニート・ひきこもりでいたい」という消極的な人は、結局誰からも匙を投げられてしまった。Wさんの話を聴いていてさらに思ったのは、

 「自分はそうならないように、ニート・ひきこもりからは絶対に脱しよう!」

 と。三枝さんや大崎上島の地域の方、Mさんから匙を投げられてまで、ニート・ひきこもりでいる理由なんてどこにもない。それどころか、そんな状態に甘えていると、Wさんのような年齢になった時に、確実に自分の人生はネガティブなものになる。

 そして、最後に思ったのは、

 「自分を救えるのは自分しかいない」

 ということ。Mさんだって背中を押してくれる(サポートしてくれる)が、最終的にどうするかは、すべて自分自身なのだ。

 「ニート・ひきこもりでいいや」「ニート・ひきこもりでいたい」という消極的な人、そうした人を受け入れろと反論する人は、結局のところ自分で自分を救おうとする気がないのだろう。そうした人達はそんな自分を受け入れてくれる居場所を探すだろうが、どこへ行ってもそんな居場所は存在しない。今回のWさんのような結果になったとしても文句は言えない。そのことは覚えておくべきだろう。


 Wさんの話を聴いたのは去年の11月にNさんから、12月にMさんからいろいろ聴いた。Wさんには申し訳ないが、やはり今回のことは人生の教訓としていろいろ感じることが多かった。

 やっぱり自分を救えるのは自分しかいないのだ。ニート・ひきこもりのみならず、これは現代社会で生きる誰もが痛感することだ。

 でも、そこであきらめたら試合終了である。あきらめないためにも、自分で自分を救うことを念頭に行動していく。それしか道はないのだから。


スポンサーサイト
コメント

No title

Wさんのような方は、往々にして
ホームレスになって、悪質な囲い屋ビジネスに
引っかかったりするんですよネ。
ひょっとしたらWさんには、発達障害や知的障害が
あったのかも。

Re: No title

>>T.Aさん
どうもお久しぶりです。
コメントありがとうございます。

>Wさんのような方は、往々にして
>ホームレスになって、悪質な囲い屋ビジネスに
>引っかかったりするんですよネ。
それは少々言い過ぎだと思いますが、悪い結果になってしまったのは当人にとっても周りの人にとっても辛いことですね。

>ひょっとしたらWさんには、発達障害や知的障害が
>あったのかも。
そのあたりはどうでしょう…。
正直疾患うんぬん以前の問題のように感じましたが。
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する