欧米のディスカッション・ディベート

 以前紹介した本、『幸福途上国ニッポン』にて、ディスカッションやディベートに関する話題が出てくる。ディスカッションやディベートの効用は、お互いの意見をぶつけ合うことで、良いアイディアが生まれたり、新しい発見が出来たりする。

 日本人は確かにディスカッションやディベートはあまりやらない。学校教育の場でやっても、バンバン発言する人とそうでない人とに分かれてしまい、活気がない。また、平等という名の「和」の精神から、ディスカッションやディベートはおろか、相手との意見交換や指摘までダメとする場合もある。もっとひどいのになると、「根性がないからそんな文句を言うんだろ!」の一点張りで、相手を黙らせることしか眼中になかったりする。

 『幸福途上国ニッポン』の著者である目黒雅昭さんのディベートやディスカッションに関する経験で、以下のような文がある。

 私の個人的な経験でも、欧米では日常から社会問題を語る機会がとても多い。学生から社会人まで、職業も関係なく、人々はいろいろな分野で深く掘り下げた対話をよくしている。それはランチの席上や夕食で、時には数時間にもわたって、たとえば「移民を受け入れるべきか」について侃々諤々と議論することもある。
 真っ向から対立する意見には声を荒げることもあるが、それはすべてコミュニケーションの一部であり、意見の対立で人間関係が悪化することはない。そういった議論のすすめかたを、学生時代から授業なども含めて学んでいる。そこで友人や同僚とも、気軽に政治や社会問題についての意見交換が頻繁になされている。


 私の周りの友人でも、政治や経済などの社会情勢に関する話題について、気軽に語り合える人がほとんどいない。たいていの人に「○○について、どう思う?」と聞いても、相手は大して答えが出ない。というのも、そうした話題について興味があったり、普段から読書などでそれらの情報に触れている人自体があまりいないからだろう。
 (読書をしている人ですら、私の周りにはなかなかいない)


 欧米の大学でのディスカッションやディベートがどんなものなか、外国の大学に赴いた経験がある大学の先生に伺ってみた。

 日本人からすると、ディスカッションやディベートは理論武装で相手の意見を押し潰して、自分の意見を押し通すイメージが強いといわれる。しかし先生の話では、ディスカッションやディベートというのは、私たちが想像しているほど、決してギスギスしたものではないという。

 ディスカッションやディベートでの意見や対話は、「××したら、とても面白い結果が出ているよ」「△△の情報がとてもいいものだから、調べてみて」といった、とても建設的なものだという。もちろん、よほど荒唐無稽なことを言ったり、相手との意見が違う場合にはそれを明確に伝えるが、基本的にはポジティブなイメージだ。

 教育の場でも日本とは異なる。アメリカでは、大学の授業でディスカッション専門の授業があり、そこで学生たちがさまざまな議論をするという。イギリスの大学では、ディスカッション専門の授業はないものの、教員が自分の研究室に学生を集めて、そこでディスカッションをさせるという。


 私は口下手なのでディスカッションやディベートが上手くないものの、やはり気軽にしてみたいと感じる。普段読書などを通じてさまざまな知識を得ていると、自分の意見も持つようになるし、それを他者に話して、いろいろと意見交換もしたくなるからだ。友人とそうした話をするのはとても楽しいし、その場でわからないことや深く掘り下げて知りたいことも聞ける。他者とのコミュニケーションとしては楽しいし、アウトプットの手段の一つとしても有効だ。

 気軽なディスカッションやディベートが日本でも容認されるようになれば、経済や社会事情などのお堅い話題について知ることが楽しくなるかもしれない。経済や社会事情を深く知るための方法として、実践するのはいかがだろう?


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