自分は独りじゃない

 面接まで進んでいたスーパーの仕出しバイトが頓挫してガッカリしていた時のこと。サポステの懇親会で知り合ったYさん(仮名)からSNSで励ましのお言葉をいただいた。その時の言葉の中に

 「我々はみんな仲間であり、誰も否定する人はいませんよ!」

 という文章があった。この文章を読んだ時、あらためて自分自身の心の中に仲間という認識が湧き出てきた。

 大人になると、仲間という認識を実感するのはなかなか難しい。友人・知人レベルの親しい間柄はあっても、仲間というより深い間柄を築くのは、そう簡単なことじゃない。仲間の定義によるけれど、「仲間」とひと口にいった時に、想いや過ごした環境(生活や空間など)を共有(シェア)できるかどうかが重要だと思う。

 数年前に試験勉強でとある予備校に通っていた際に、そこの予備校の先生が授業中に生徒に向かって

 「君たちは仲間なんだ! お互いに切磋琢磨し合って、助け合って、頑張っていくことが大事なんだ!」

 と、仲間の重要性について説いていた。だが、当時の私を含め、周りの生徒たちもその言葉の真意に理解できず、ポカーンとしてしまった。当然ながら、その場にいた生徒たちに仲間意識が出ることはなかった。いま思えば、当時の先生が仰っていた言葉の真意が、とても良く理解できる。

 私は去年、大崎上島のNさん(仮名)からの勧めもあって、大崎上島に3ヵ月間滞在した。その間にNさんだけでなく、島で出会ったいろいろな方々との交流ができた。特にMさん(仮名)のように、同じNさん宅で同じ釜の飯を食った間柄の方々との交流は仲間の意識が強く感じることができる間柄となっている。

 仲間という認識をあらためて感じて思うのは、「自分は独りじゃない」ということ。どんなにつらくても、どんなに暗中模索の日々が続いても、どんなに他人からバカにされても、自分は独りじゃない。

 仲間とつながって共に前に進んでいる

 口で言い表すのがなかなか難しいが、この認識と感覚はなにものにも代えがたいもの。仲間の認識が強ければ強いほど、自分自身のポテンシャルも強まっていく。前に進む勇気をもらえる。進んだ喜びをみんなとシェアできる。


 「あなたに仲間はいますか?」
 「その仲間と想いや喜びをシェアできていますか?」

 そうしたことを自分自身に問いかけた時、自分が独りじゃないかどうかが分かる。


スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する