「自由」に関するちょっとしたおさらい

 「自由」という言葉について、誰もが一度は心躍ったことがあるでしょう。束縛を好む人なんてあまりいませんし、「自分のやりたいように、思うように行動したい」と誰もが考えています。今回はその自由について、いろいろと書いていこうと思います。


 自由という言葉ですが、英語ではFreedomLibertyの2つの言葉があるのは周知のとおりです。2つとも意味は同じ自由ですが、Freedomでは主に「自由奔放、勝手きままに」などの消極的な(平たく言うと、軽い感覚の)ニュアンスで使われています。Libertyは主に「理性・責任をもって、自主的に行動する」ことを示し、積極的な(平たく言うと、お堅い感覚の)ニュアンスで使われています。外国ではどちらの言葉も一般的に使われていますが、学術的・政治的・社会的な立場・解釈における自由はLibertyが使われることが多いです。

 反対にFreedomは、尾崎豊さんの『卒業』や日清のカップヌードルのCMでも話題となった『FREEDOM』をイメージをしてもらうと分かりやすいと思います。無邪気な青少年たちが、大人たちが唱えるつまらない規則や束縛から抜け出して、自分たちの理想を求めて奔走する。若い人たちが好む自由はこのFreedomが多いと思います。

 よく自由を「わがまま、自分勝手」といったネガティブな意味で解釈する方もいらっしゃいますが、それは英語ではFreewheelingといい、これもまたちょっとニュアンスが違います。哲学者のカントは自由について「意志が完成的欲望に束縛されず、理性的な道徳命令に服すること」と説きました。つまり簡単に言うと、我欲に左右されずに理性を持った考え方で行動することが自由であるということ。我欲や目先の利益に振り回されて、生きているだけでは自由ではないというのです。自由の原理を理解できていないという人は、このニュアンスの違いをできていないのでしょう。


 しかしながら、自由には「自分で選択しなければならない」という面倒さがあります。料理屋さんでお任せコースがあったり、旅行を効率的に楽しめるツアーパックがあるのは、このためです(無論、それ以外の理由もありますが)。もっと残酷なことになると、自分に取り巻く絶望的な状況を打開するために、自由を自ら放棄して、強大な力にすがろうとする動きが出てきます。この残酷さがかつてドイツ国民がナチスを支持し、強大な独裁国家を生み出す原因となりました。この残酷さを分析・立証したのがフロムの『自由からの逃走』です。


 そんな残酷さもある自由ですが、あるとないのでは当然あった方がいいです。目崎雅昭さんが書いた『幸福途上国ニッポン』では、「自身を取り巻く環境は自由だと感じる国民が多いほど、幸福度が高まる」という結果が出ています。日本はリーマンショックや東日本大震災以降、安定志向ための就職などの俗流じみた考えへの転身傾向により、閉塞感がますます高まっています。その閉塞感から自由が生まれるのは難しいのですから、そろそろそこから抜け出て自由になってもいいのではないでしょうか?


<参考文献>
橘玲『不道徳な経済学』

目崎雅昭『幸福途上国ニッポン』


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