「人を批判するか・物事を批判するか」で見えてくる問題の本質

 あくまで私の私見なのだが、人々が何かしらの問題を批判する際、人を批判するのか、物事を批判するのか、のどちらかに分かれるように思える。

 たとえば「格差社会」という社会問題について、「引き越したのは誰か?」と聴かれると理由はさまざまだが、以下のような返事が出てくる。

 〔人を批判した内容〕
  ・政治家・官僚が悪い(小泉元総理大臣や現在の総理大臣など)
  ・お金持ちが悪い(ホリエモンなど)
  ・新自由主義者が悪い
  ・若者が悪い(フリーターやニートなど)
  ・モラルのない輩が悪い(フリーライダーなど)
  ・既得権者が悪い(年功序列や終身雇用に守られている人など)

 〔物事を批判した内容〕
  ・社会構造が悪い(年功序列や終身雇用など)
  ・法規制が悪い(解雇規制など)

 ここまでざっと一例を取り上げたが、どちらの内容も理由はさまざまあるので一概に「コレだ!」と決められるものはない。批判している内容をいろいろ調べてみて思うのだが、多くの人は人相手に批判する傾向が強いように思える。人を批判するのは「勧善懲悪な物語における悪役」と一緒で、諸悪の根源が人であった方が原因を明確にしやすく、その人をどうにか動かせれば問題を解決できると思っているからかもしれない。

 しかし、さまざまな問題を考える際に、多くの人は人の批判に目を向けすぎだが、物事の批判も忘れてしまいがちだ。むしろ物事に対する批判の方が、問題解決の可能性は人を批判するよりもずっと大きいのだ。

 たとえば年金を不正受給していた事件があったりすると、不正受給者に対して「人間のクズだ!」「世の中本当に困っている人がいるのに、なんてひどいことを!」と猛烈にバッシングする。でも、このバッシングはよくよく考えると、少々大人気ない。誰だって何もせずにお金がもられるのなら、もらいたがるのは当然だ。それができるとあれば、誰もが不正受給でお金をもらうだろう。不正受給など、生活保護の大義名分に沿わない問題があるとしたら、それは不正受給をしている人間が悪いのではなく、生活保護のシステム自体に悪い欠陥があるのだ。不正受給をしている人間は根っからの悪人というわけではなく、そうした欠陥を利用すれば得をするということに気づいて利益を得ているだけだ。問題の根本的な原因は、不正受給者ではなく制度の欠陥(もしくは制度そのもの)なのだから、この場合、批判すべきは人ではなく物事なのだ。

 「そんな馬鹿げた屁理屈をぬかすな!」とお怒りになる方もいらっしゃるかと思うが、この考え方は生活保護の問題だけでなく、脱税の問題にも当てはめられる。有名人の脱税が発覚するとマスコミがこぞって有名人をバッシングするが、別にその有名人じゃなくったって、誰だって税金は払いたくないと考えている。その願いをかなえたのが節税という名の脱税だ。脱税も節税も払うべき税金を払わないという行為は一緒で、法に触れるか触れないかの違いだけの紙一重の存在。両者は税金のシステムの欠陥を利用して、払うべき税金を払わなくて済むようにしているのだから、生活保護と同じように物事(制度)に問題があったということになる。脱税した人も節税する人も、税金を払いたくないという誰もが持つ願いをかなえただけに過ぎない。


 人を批判して問題解決しようと考える人がとても多いが、結局それはモグラ叩きと一緒で、「制度(システム)の欠陥」という穴から出てくるモグラを叩いているだけ。穴自体をふさがない限り問題解決には至らない。法規制などでモグラ自体を駆除しようと考える人もいるだろうが、「制度(システム)の欠陥」そのものは大して埋めずにそのままにしてあるのだから、後から別のモグラが寄って出てくる。物事を批判して、「制度(システム)の欠陥」あるは「制度(システム)そのもの」を直さない限り、このモグラ叩きは延々と終わらない。決して物事の批判だけが正しいとは言わないが、問題の本質はこうしたところから見えてくる。


<参考文献>
橘玲『知的幸福技術―自由な人生のための40の物語』
橘玲『不道徳な経済学』

<参考サイト>
橘玲 公式サイト「第6回 後味悪い“タダ乗り”批判(橘玲の世界は損得勘定)」


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